AKIのブログ

ラプトブログに出会い、人生が変わりました。

『日本という国がいかに神様から守られ優遇されてきた国だったと、ラプトさんを通して知る事ができました』

私は2016年にラプトさんをYouTubeで知り、2017年から『ラプトブログ』を読んで信仰を持つようになりました。

 

『ラプトブログ』

http://rapt-neo.com/?page_id=1815

 

『RAPT × 読者対談7 神道ユダヤ教と悪魔教のつながり。悪魔教が日本に伝わった経緯』 
https://youtu.be/NhNckLBYLFk

 

私は幼い頃から海外に憧れを持っていました。

海外に憧れたきっかけは洋画や洋楽が好きだったこともありますが、一番の影響は両親の反日思想でした。

父親は日本共産党員で、私に反日思想を植え付けました。

父親の口癖は「天皇は悪人!」「自民党は悪人の集まり!」「日本は悪い国だ!」でした。

幼かった私は、あまり意味も分からずにただただ父親の話を信じていました。

母親は3人兄妹で、母親の兄(叔父)が共産思想でした。

母親は叔父の影響を受けていました。

両親は、私と3歳年上の兄を連れてよく「平和運動」や「平和集会」に参加していました。

集会で反戦映画や反戦歌を歌ったのを今でも覚えています。

その影響で私は幼い頃から「なぜ、世界中で戦争が起きるのか?」「どうして日本は原爆を落とされたのか?」「日本はどうしてこんな国になったんだろうか?」と常に疑問に思っていました。

両親の洗脳教育により、私はいつの間にか「日本は良い国ではない!」「外国の方が良い国だ!」「日本が嫌い!」「なぜ、日本人に生まれたんだろう!」と思うようになりました。

 

私は幼い頃から「ダンサー」になるのが夢でした。

いつか海外に行って、ダンス留学するのを夢見ていました。

そして、2001年の10月に私はスペインへ、フラメンコダンス留学をしました。

幼い頃から夢見ていた海外留学に期待と希望に胸を膨らませながら、約半年間の留学生活をスペインで過ごしました。

しかし、自分が思い描いていた留学生活は、理想と現実のギャップに恐ろしいほどのカルチャーショックを受けました。

 

まず、アジア人差別は日常茶飯事でした。

普通に道を歩いているだけなのに「チノ!チノ!(中国人)」と怒鳴られたり、ツバを吐かれたり、一番酷かったのが石や氷を投げられたりもしました。

 

道路は犬の糞だらけで、足の踏み場もない場所がたくさんありました。

道にゴミを捨てるのも当たり前でした。

窃盗、スリ、強盗も日常茶飯事でした。

留学中も私が借りていたマンションの前に宝石ショップがありましたが、夜中に強盗が入ってお店のガラスが割れる音が響き渡り、大騒ぎになっていました。

 

値段表示のない飲食店やショップは、普通に値段を釣り上げてぼったくります。

 

マンションを借りた時も、なぜか同じタイプの部屋なのに日本人にはバカ高い家賃を請求し、スペイン人には格安の値段で貸していました。

 

電車やバスは時間通りに来ないし、1時間ぐらい遅れることもありました。

 

百貨店やお店、駅や飲食店のほとんどが喫煙可能でした。

お祭りみたいなイベントに行った時、甘いアーモンド臭がしたので、臭いがする方を見たら短いタバコを吸っている人がいました。

一緒にいた日本人の友人が「あれ、マリファナだよ」と教えてくれました。

 

1度、晩御飯を食べにバルで食事をしていると警察官が二人で入店し、制服のままビールを飲んでいました。

 

ある日、お店で買い物をした時に100ユーロの大きいお札で支払おうとした時、店員が「お釣りがないから、どっかのお店に行って何か買って来て!お釣りのないから!」と逆ギレされました。

その時は、呆れて買い物を断念しました。

 

留学中に知り合った日本人女性の友人から聞いた話です。

彼女は大学卒業後、フラメンコ留学のためにスペインに来て、フラメンコ専門学校に通っていたそうです。

学校の寮生活中に、スペイン人からいじめを受けたそうです。

共同で使用していた洗濯機が故障した時「お前が壊した!」と因縁をつけられ、彼女は洗濯機を壊していないのに修理代を払わされたそうです。

 

私が留学したのが2001年10月~2002年3月末で、その後も2004年2月から2カ月間留学しました。

2001年からの留学中、町に1つしかない百貨店の前に広場がありました。

広場は留学中、ずっと工事中でした。

2004年に再び同じ広場に行くと、まだ工事中でした。

イタリアに新婚旅行に行った時、ガイドさんが工事現場を見て「工事が全然進まないのよね~」と嘆いておられました。

(海外あるあるなのかなと思いました)

 

スペインの旅行ガイドブックや旅行雑誌には、「スペインのアンダルシア地方の人達は、陽気で気さくで明るい人が多い」と、記載されていましたが、気さくで陽気で明るい人はほとんどいませんでした。

それどころか、アジア人に差別的で警戒心が強く、お店の人に何か尋ねても冷たくあしらわれたり、睨まれたり、無視されることがほとんどでした。

 

フラメンコの衣装を作ろうと衣装屋さんに行った時、衣装をオーダーメイドで注文しました。

シンプルなデザインのワンピースを注文し、後日、出来上がった衣装を試着した時に裁断や縫製は歪みまくり、左右非対称のガタガタの衣装を渡されてました。

 

留学中、スペインの有名ブランド「ZARA」でダウンジャケットを購入した時、1週間もしないうちにチャックが故障し、腕や胸の部分から打ち綿が次々と出てきました。

 

フラメンコシューズを購入した時も、オーダーメイドで注文し、後日届いたシューズを見たら注文した色と違う色だったり、右と左の留め金の位置がズレていたり、ベルトの左右の長さが違っていたりするのが当たり前でした。

 

留学から帰国後、私は日本という国がいかに「素晴らしい国だ」と認識しました。

幼い頃に両親から受けた反日教育が根底にあったので、私にとっては日本に対してアンチ思想だったのが取り除かれた分、更に日本の国の素晴らしさを認識できるようになりました。

 

2004年に再びスペインへフラメンコ留学した時、ニューヨーク在住の日本人女性と知り合いました。

彼女は、とても気さくで優しい方でした。

留学中、その彼女と仲良くなり、一緒にご飯を食べに行ったり、歌を聞きに行ったりフラメンコ公演を見に行きました。

ある日、彼女と一緒に食事に行った時のことです。

彼女は私に「国民性が分かる例え話クイズ」をしてくれました。

『例え話だけど、今にも沈没しそうな豪華客船があります。タイタニックみたいな感じね。船が沈没しそうなので、女性と子供は先に救命ボートで脱出しました。残ったのは男性ばかり。このまま、船に残ったままだと沈没時に起こるスクリューで海の中に飲み込まれて確実に死んでしまう。でも、今海に飛び込んだら助かるかもしれない。だけど、飛び降りる高さはビルの3~4階ほどの高さです。今、海に飛び込んで助かる確率はわからない。海に飛び込む勇気がなくて躊躇している男性が5人います。イギリス人、ドイツ人、アメリカ人、日本人、中国人の男性がいます。船員が各国の男性に、どんな言葉をかければ船から飛び降りると思う?』と、彼女から言われました。

(因みに、私はイギリス人と日本人と中国人を当てました!)

まず、イギリス人の男性。

イギリス人男性には「君はジェントルマンだろ!」と言ったら飛び込むそうです。

次にドイツ人の男性。

私はまったく分からなかったので、彼女が「ヒントは日本人と少し似ているかも」と教えてくれましたが、分かりませんでした。

ドイツ人男性には「ルール(規則)だから!」と言ったら飛び込むそうです。

次にアメリカ人の男性。

彼女はニューヨークに長い間在住している人だったので、アメリカ人男性の答えを聞いた時は「まさしく、アメリカ人の考え方!」とおっしゃってました。

アメリカ人男性には「君はヒーローになれるよ!」と言ったら飛び込むそうです。

彼女が言うには、9.11同時多発テロの時に、たくさんの消防士が亡くなった時、メディアはこぞって「ヒーローだ!ヒーローだ!」と言っていたそうです。

次に日本人の男性です。(私はすぐに分かりました)

日本人男性は「みんなも飛び込むから、君も飛び込みなさい」でした。

そして、最後は中国人です。(これも私は当てました)

中国人男性は「女性と子供に混じって、先に救命ボートで逃げた!」でした。

彼女から、この話を聞いた時「世界各国の思想や考え方はまったく違うんだな・・」と思いました。

 

2004年に留学していた時のことです。

スーパーで買い物をした時、一緒に留学していた弟が「果物が食べたい!」と言ったので、桃を買って帰りました。

マンションへ帰り、弟が桃を食べているのを見ていました。

弟が桃を丸かじりした時「シャリッ!!」とリンゴをかじった咀嚼音がして、私は驚きました。

その瞬間、弟が「かったい!!酸っぱ!!」と言って、食べるのを断念しました。

次の日、弟はスーパーで「イチゴが食べたい!」と言ったので、真っ赤なイチゴを買って帰りました。

日本のイチゴより大きくて、色も濃い濃い赤色でした。

弟がイチゴを食べた瞬間「シャリッ!!」と、またリンゴをかじった咀嚼音がして「かったい!!酸っぱ!!」と、言って食べるのを断念しました。

私はその時、日本の農業技術のレベルの高さに改めて驚かされました。

日本では、農家の方が何年もかけて品種改良してくださった物を、スーパーで普通に購入して美味しくいただける事が本当に素晴らしいと感じました。

 

数年後、今度は弟が一人でスペインへ留学した時のことです。

弟は、スペインでも日本でも有名な男性のフラメンコダンサーに個人レッスンを受けに行きました。

個人レッスン終了後、レッスン料を支払い、翌日もレッスン後に昨日と同じレッスン料を支払おうとすると、昨日のレッスン料より値段が高くなっていたそうです。

翌日も、その翌日も、個人レッスン料は高い値段を請求され、弟は精神的なダメージを受けていました。

 

フラメンコ留学仲間では、こういったエピソードはあるあるで、特にジプシー系の人種がレッスン料を法外な値段で請求するそうです。

しかし、その法外な値段を知らずに支払い続けるお金持ちの日本人がいるそうで、スペイン人からすると「日本人=金持ち」と誤解を招いているのかもと思いました。

 

海外留学後、私は改めて日本という国、そして日本人の国民性の優れた知性と根気強い精神、新しいものを作り出す柔軟性や能力、真面目で勤勉な性格に感動と感謝と誇りを抱くようになりました。

 

その後、イタリアへ新婚旅行に行った時もスペインとほぼ変わりない状況でした。

観光地はぼったくりが横行、スリも多く、物乞いをする人を何人も見かけました。

他にも、香港、台湾へ旅行にも行きました。

 

一番酷かったのが、中国でした。

中国、上海と蘇州に旅行に行った時のことです。

関西空港から飛行機に乗り、機内で上海空港到着のアナウンスが聞こえたので、私は何気なく窓の外を見ていました。

窓から地上を見下ろすと明るいベージュ色の砂漠が広がっていました。

私は、その砂漠を見て「そういえば、中国は環境破壊が酷くて砂漠化しているってニュースで言ってたな」と思っていました。

そして、しばらくその砂漠を見ていたら、砂漠の上を船が通過していきました。

私が見ていたのは、砂漠ではなく上海の海だったんです。

本当に驚きました。

 

空港に着いて税関を通る時、中国人専用レーンと外国人用専用レーンがあり、私は外国人専用レーンに並びました。

私は旅行では香港や台湾、イタリア、留学でスペインに行きましたが、飛行機の乗り継ぎでオランダ、フランス、ドイツ、トルコの空港を利用したことがあります。

どの国もパスポートを見せたら、10秒もしないうちにパスポートを返してくれて顎や手で「通れ!」と支持してくれます。

しかし、中国の上海空港の税関は、中国人専用レーンはドンドン列が進ん行くのに、外国人専用レーンはなかなか前に進みませんでした。

税関近くまでたどり着くのに、約2時間ほどかかりました。

5~6人先の人が税関に入って行くのが見えたので「なぜ、こんなに時間がかかるのか?」と、前の人達の様子を覗き込んで見ていました。

私が知っている空港の税関の人は、だいたい1~4人ぐらいで、それぞれ離れた場所で待機しています。

しかし、上海空港の税関は1レーンに約5~7人の人が警棒を片手に「鞄の中を開けろ!」と指示をし、荷物一つ一つに質問をしていました。

私は主人と一緒に旅行に来ていました。

主人は警察官で、中国人犯罪者の取り調べ通訳者として訓練を受けていたため、中国語が堪能だったので問題なく税関を通ることができました。

結局、上海空港に着いてから上海に入るまで2時間以上かかりました。

夜に到着して、上海の街を歩いていた時に驚いたのが道路の汚さです。

スペインやイタリアでは犬の糞だらけでしたが、その汚さのレベルをはるかに越えた汚さに驚きました。

道路は真っ黒で、大気汚染の汚れが道路に蔓延していました。

旅行初日は、たまたま雨が降っていました。

道路を歩いただけで、靴とズボンの裾が真っ黒になってしまいました。

 

上海でコンビニに買い物に行った時、ペットボトルの水を2本購入しました。

1本目は普通に美味しい水でしたが、2本目を飲もうとした時、ペットボトルを開ける時になる蓋の音「パキッパキッ!」という音が鳴りませんでした。

私は不信に思いながら、恐る恐る水を飲んでみると水から生臭い匂いがしました。

私は気持ち悪くなって、その水を捨てました。

おそらく、コンビニの店員が商品の水を飲み、代わりに水道水をペットボトルに入れて陳列したと思いました。

呆れながら心の中で「さすが中国!そりゃ、世界から嫌われるよ!」と思いました。

中国人の民度の低さは、私の予想をはるかに超えていました。

列に列ばない。

大声で喧嘩。

お店の店員の態度の悪さ、ぼったくりなど。

ただ、スペインとあまり変わらないとも思いました。

 

主人は学生時代に北京に行ったそうで、その時に駅で切符を購入しようとした時、券売機の前に扇形に人が並び、自分の番が来て切符を買おうとしたら、左右から複数の手が出てきて、横入りされそうになったそうです。

 

上海から蘇州に行く時、新幹線のような鉄道を利用しました。

主人が指定席を取ってくれたので、車内に入って席に座ろうとしたら、私達が座るはずだった指定席に座っている人がいました。

主人が「どいて!」と言ったので、座っていた人は席を譲りました。

車内の通路に座り込んで大声で話したり、車内の通路に座り込んでお弁当を食べる人もいました。

 

上海の町を歩いていた時、横断歩道の前に白い紐を持った人を何度か見かけました。

その白い紐を持った人は、赤信号で待っている人を静止するためのものらしく、赤信号なのに信号無視する歩行者、車道まで進んで待つ人を紐で引っ張って静止していました。

 

中国旅行最後の日、上海のレストランで食事をしました。

そのレストランでは、中国の古典音楽の生演奏を聞きながら食事が出来るところでした。

楽器演奏が終わった後、演奏者が舞台から居なくなりましたが、一人だけ舞台上に楽器を持ったまま残っていました。

私は残った人が一人だけで演奏するのかと興味深く見ていました。

すると、ポケットから携帯電話を取り出し、舞台上で携帯電話をイジり始めました。

当時、私は20年以上ダンスや踊りをしてきたので、舞台上で携帯電話をイジりながら休憩する人を見て本当に驚きました。

上海と蘇州の旅行中、私は「こんな国は絶対に住みたくない!」と思っていました。

日本に帰ってきた時、本当に心の底から安堵感を感じました。

 

私は過去にスペイン、イタリア、台湾、香港、中国(上海、蘇州)、そして、航空会社の飛行機の乗り継ぎミスにより、オランダで1泊したこともありました。

飛行機の乗り継ぎで、フランスのオルリー空港からシャロルド空港までバス移動したり、トルコ航空も利用したこともありました。

たくさんの国へ行ったわけではありませんが、海外へ行って帰ってくる度に「日本は素晴らしい国だ!」と思っていました。

鉄道やバス、道路や歩道の美しさと清潔感。

食事のクオリティーも高く種類もたくさんあります。

世界各国の料理を普段から食べられたり、値段もぼったくるお店もあまりありません。

海外へ行って一番嫌だったのが、公共施設にあるトイレでした。

スペインの駅のトイレは、トイレットペーパーが流せないので便や尿の付いたトイレットペーパーが便宜の周りに散乱して、ものすごい悪臭がしていました。

イタリアに行った時、高速道路のサービスエリアでトイレを利用する時は有料でした。

確か、2ユーロ支払ったと思います。

 

日本という国が、人間が生活する上でどれだけ豊かで恵まれているのか。

食事の質、公共施設、インフラの質、水道水の質、お店のサービス、入浴の習慣、物の良質、電化製品のレベル、人々のマナー、礼儀作法など。

本当に日本の良さをあげればきりが無いほど、たくさんあります。

私は留学後、「どうして日本という国はこんなにも恵まれた特殊な国なのかを知りたい!」と思い、周りにある神社仏閣が気になるようになった私は神社仏閣を調べ、足を運ぶようになりました。

そして、神社仏閣や日本の事を知らべ続け始めてから3年ほどたった時に、ラプトさんに出会いました。

YouTubeでラプトさんの読者対談を聞いてから、私の人生は大きく変化しました。

 

神様が聖書の最後を締めくくる使命者であるラプトさんをこの日本に送られ、神様が使命者がいらっしゃる日本を特別に優遇してくださったと御言葉で聞いた時、私は幼い頃から両親から受けた反日教育や留学経験、海外旅行での違和感や日本という国を改めて何度も見直した経験がすべて繋がりました。

 

この日本の素晴らしさこそ、神様の愛によって守られた国であり、人間がより高い能力を高めて行ける神様の愛の国の基盤になっているのだと私は思いました。

ラプトさんという聖書の最後を締めくくる使命者と同じ時代に生まれて来られたこと。

ラプトさんと同じ国に生まれて来られたこと。

そしてラプトさんに出会い、神様の御言葉に出会えたこと。

ラプトさんが宣布してくださる神様の御言葉をリアルタイムで聞き続けられていることが、本当に大きな大きな恵みと祝福と奇跡だと思いました。

 

一人でも多くの日本人、そして世界中の人々がラプトさんに出会い、神様に出会って御言葉を受け入れて救われますように、お祈り致します。