AKIのブログ

ラプトブログに出会い、人生が変わりました。

『病院通いが当たり前だった日常生活が、ラプトブログに出会ってから病院や医師に頼らなくても良い生活になりました。』

私は『ラプトブログ』に出会うまで、医師の言う事を100%信じていました。

常日頃から体のどこかに痛みや違和感があると「病気かもしれない···」と、すぐ不安になり病院に駆け込んでは、しばらく通院する生活が当たり前でした。

通院生活を続けても体の痛みや違和感がなくならない場合は、また他の病院に行って通院することを繰り返していました。

 

私は小学4年生の時に「アトピー性皮膚炎」を発症しました。

アトピー性皮膚炎専門の皮膚科に通い、食事療法を3年間行って完治しました。

 

私が幼い頃から常に通い続けていたのが歯医者でした。

私は幼い頃から歯がとても弱くて、甘い物を食べた瞬間に歯に痛みを感じたり、歯磨きを少しでも怠るとすぐ虫歯になっていました。

歯医者だけでも、今まで8件ぐらいの病院を転々としてきました。

 

10代の頃のことです。

ある日突然、上の右奥歯が激しく痛み出したことがありました。

私は「また、虫歯の痛みだ···」と思って、しばらく痛み止めの薬を飲んで様子を見ていました。

しかし、歯の痛みは一向に収まらず、我慢出来ずに当時通っていた歯医者で診てもらうことにしました。

先生は私の歯を診た後、すぐにレントゲンを撮ってくれました。

先生は私のレントゲン写真を食い入るように見ていました。

そして先生は「これは歯じゃないね。鼻やね!」とおっしゃられました。

先生は耳鼻科に行くように勧めてくださいました。

私は自宅から近い場所にあった耳鼻科に行くことにしたのですが、その病院の医師からは納得出来る説明や原因は聞けずに多量の薬だけを貰って帰りました。

数日間、薬を飲み続けましたが一向に良くならず、母親に相談したところ、もう一軒耳鼻科があると教えてくれました。

私は早速その耳鼻科に行き、先生に診てもらうと「急性蓄膿症」と診断されました。

先生は「3回来て!3回で治すから!」と宣言してくださいました。

先生の宣言通り、私の急性蓄膿症は3回の治療で治りました。

 

20代の頃にも歯に関することで辛い経験をしました。

私が社会人1年目の時でした。

当時、私は会社の寮に住んでいました。

仕事中に歯が痛くなりました。

地元の歯医者には遠くて通うことが出来なかったので、寮の近くにある歯医者で治療を受けることにしました。

久しぶりの歯医者だったので、私は緊張と恐怖のあまりに怯えていたら、いきなり医師から「あんただけが患者じゃないんや!あんただけにそんな時間かける暇なんかないんや!」と大声で怒鳴られてしまいました。

治療を終えた後、しばらく痛みがなかったのですが、ある日、仕事に行こうとバスに乗っていた時、今まで経験したことのない激痛が右顎に走りました。

私は一瞬、誰かに顔を思いっきり殴られたのではないかと思ったほどの激痛に、頭の中が真っ白になりました。

仕事を休むことが出来ず、しばらく我慢をしていましたが、日に日に痛みは激しくなり3時間おきに痛み止めの薬を飲まないと我慢出来ない状態が何日も続きました。

顔の形が変形するほど右顎が腫れ上がり、職場の人達からは顔を見られる度にドン引きされるほどでした。

あまりの痛さに耐えられず、仕事を休んで以前通っていた歯医者に行って診てもらうことにしました。

先生は私の顔と歯を見るなり、すぐに「レントゲンを撮ろう!」とおっしゃってくださいました。

レントゲンを撮り終わり、先生は治療した箇所のかぶせを外してくださいました。

すると、口の中から生ゴミのような臭い匂いがした瞬間、先生が「あ〜あ、これは酷いなぁ〜!」と言われました。

治療が終わった後、先生から「歯の奥まで虫歯が進行していたのにもかかわらず、レントゲンを撮って確認せずに歯の上部だけを治療し、歯の奥底に残っていた虫歯の菌を取り除かずに被せをしたせいで、虫歯菌が歯の奥へ奥へと蝕んで、こんな酷い状態になってしまった。」と丁寧に説明をしてくれました。

後日、歯の腐食が酷すぎたので抜歯することになってしまいました。

 

他にも、私は30代の頃にも何度も原因不明の高熱で倒れました。

特に酷かったのが、フラメンコを教える仕事をしていた頃でした。

ある日の朝、いつも通りベッドから起き上がろうとした瞬間、突然激しいめまいを起こして立ち上がることも出来ない時がありました。

寝ていても目の前がグルグルと回転し、立ち上がることも出来ませんでした。

丸一日寝込んだ翌日には、めまいは治まったのですが「何か大病を患っているかも···」と思いました。

私はめまいの原因を突き止めようと、その日から内科、耳鼻科、眼科、心療内科、大学病院の脳外科など、病院を何軒も渡り歩きましたが、どの病院も、どの医師からも納得した原因が聞けず、心配と不安に押し潰されそうになった時期もありました。

結局、原因不明のままでした。

 

子供が産まれてからは、より一層病院に通うことが多くなりました。

子供の発熱や風邪、湿疹やケガなど。

病院の診察券が自分と子供達の分をまとめたら1冊の冊子ぐらいになるほど、病院通いが当たり前でした。

長女を出産したのが2008年、次女を出産したのが2010年でした。

長女を出産した時、ちょうどテレビやマスコミで「京都在住の幼児が肺炎球菌によって重病になった」と騒がれていました。

長女が幼い頃、私は子供の予防接種を信じていたので、ほとんどの予防接種を受けさせていましたが長女はだんだん病弱になり4歳の時には吃音を発症してしまいました。

長女も次女も、予防接種を打ち始めたとたんに原因不明の発熱と食欲不振により入院しました。

次女を出産した翌年の2011年、東日本大震災が起こりました。

原発事故の風評被害放射能、癌や大気汚染など、マスコミが流す嘘の情報を鵜呑みにしていた私は「これから、どうすれば子供達を守って行けるのか··。家族の健康をどうやって守って行けるのか···。」と思い悩んでいたました。

それから、毎日のようにネットやYouTubeで健康情報や社会情勢を検索していました。

そして、2016年にYouTubeでラプトさんに出会うことが出来ました。

 

『RAPT×読者対談114 癌という病気は存在しない。(前編)』

https://youtube.com/watchv=6W9hPx3hH5s&si=ToI5ETIIXXEszkpE

 

『RAPT×読者対談115 癌という病気は存在しない。(後編)』
https://youtu.be/dZusTa6srSw

 

『RAPT×読者対談56 原発も原爆も存在しない。』

https://youtu.be/lgpD0YE5RRI

 

『RAPT×読者対談57 原発も原爆も存在しない。(後編)』

https://youtu.be/dfS0Nmrmlj8

 

2017年から『ラプトブログ』を通して信仰を持つようになってから、歯医者、耳鼻科、内科、接骨院に通う回数が次第に減って行きました。

子供達も病院に通うことがなくなって行きました。

 

ラプトさんに出会ってから私が一番に驚いたのが歯医者でした。

ラプトさんに出会う前は、何度も歯の痛みに悩まされた時期がありました。

何件も歯医者に行っては、納得出来る治療をしてもらえずに歯医者難民になっていました。

ラプトブログに出会ってから、神様に「良い歯医者が見つかりますように!」と祈りました。

しばらくしないうちにネットで見つけた歯医者に行きました。

そこの歯医者は、私の話を親身に聞いてくださり、きちんと治療を説明してくださり、余計な治療やムダな治療もしないし、何度も通わせてようとせずに「痛くなったら、来てください」とおっしゃってくれる歯医者を見つけることができました。

その歯医者も、ラプトさんに出会ってからは徐々に利用する回数が減って行き、今ではほとんど通わなくても良い状態になりました。

幼い頃から体質的に歯が弱かったので、年齢と共に歯がボロボロになって行くと思っていましたが、ラプトブログに出会い、信仰を持ち始めてからは歯が悪くなることがなくなりました。

歯医者は幼い頃からずっと通い続け、ほぼ依存に近い状態だったのですが、今では歯医者に通わなくてもいい人生が送れていることに神様の恵みと奇跡を感じています。

 

『この世のどんな専門知識に従うよりも、神様の考えで行ってこそ、病気も治り、健康に生きられる!!(十二弟子・KAWATAさんの証)』

https://rapt-plusalpha.com/83655/

 

『【第35回】ミナのラジオ – 神様を信じてお祈りすると、病気も治り、若返り、それまでできなかったことができるようになり、日々、新しい自分に生まれ変わることができる!! – ゲスト・NANAさん』

https://rapt-plusalpha.com/89416/

 

『どんな絶望的な状況であっても、病気を癒し、希望を与え、起き上がらせてくださるRAPTさんの力と愛(十二弟子・KAWATAさんの証)』

https://rapt-plusalpha.com/31407/

 

今は踊る仕事をしているため、接骨院に通ってはいますが、治療ではなくマッサージを受けにだけ行ってます。

 

つい最近、家の中を整理整頓していたら棚の奥から名刺サイズの冊子が出てきました。

中を見ると、歯医者、耳鼻科、内科、心療内科接骨院、皮膚科、整形外科、産婦人科の診察券が多量に出てきました。

それを見て「こんなたくさんの病院に通っていたのか···」と思い、つくづくラプトさん、神様に出会えて本当に良かったと思いました。

ラプトさんに出会うまでは、癌や白血病などの病気、予防接種やワクチン、医師を信じていましたがラプトさんがこれらの事はすべて存在しない嘘だと教えてくださったことで、本当に心の底から救われました。

 

『【動画】ガン利権に騙されるな!癌という病気は存在しない | RAPT理論+α』

https://rapt-plusalpha.com/26985/

 

『【ガンという病気は存在しない】オミクロン株拡大で癌検診を受ける人が減少 「癌利権」で暴利を貪ってきた医者たちに危機感』

https://rapt-plusalpha.com/29988/

 

『【癌は存在しない】コロナワクチン接種後、癌と診断される人が急増しているとのデマが拡散される ワクチンの危険性を訴え、癌利権で暴利を貪る医療業界の卑劣な工作』

https://rapt-plusalpha.com/44681/

 

『「発達障害」も捏造された病気!! RAPTブログで医療界の闇を知り、親しかった親子が救われた(十二弟子・ミナさんの証)RAPT理論+α』

https://rapt-plusalpha.com/65125/

 

『【ポリオは人工的に捏造された病気】ポリオの原因は、ウイルスではなく大量に撒かれた農薬だった!! ポリオワクチンも“ただの毒”RAPT理論+α』

https://rapt-plusalpha.com/50907/

 

『「野口英世」は120年前に「酸素不足は、全ての病気の原因」と発表 マスク着用の強要は、やはり日本の国力低下のためのテロだった!!』

https://rapt-plusalpha.com/50864/

 

『【コロナは存在しない】インドの感染爆発・死者続出は、すべてマスコミの捏造したデマだった!!』

https://rapt-plusalpha.com/11657/

 

『【自民党員も全員、コロナが嘘だと知っている】超密状態の党大会で大声で必勝祈念し、国民から批判殺到』
https://rapt-plusalpha.com/33087/

 

PCR検査に使われる綿棒は、はじめから「陽性用」と「陰性用」に分けられている!!』

https://rapt-plusalpha.com/5994/

 

『世界中でコロナパンデミックに対する抵抗が始まっている』

https://rapt-plusalpha.com/5557/

 

更に、神様を信じて祈り求めれば、病気も治るとおっしゃってくださっています。

実際、私と子供達は年々、元気になっていき風邪も引かなくなくりました。

最近は、体を鍛えることが楽しくて筋トレやストレッチも子供達と一緒に始めるようになりました。

ラプトさんに出会ってからは、年々健康になって行っています。

本当に神様とラプトさんに感謝しております。

一人でも多くの方が真実にたどり着き、健康で幸せに生きて行けますように、お祈り致します。

『ラプトブログに出会い、神様が私の人生をより良い方へと導いてくださっていると思える体験』

私は今年で50歳になる2児の母です。

夫は公務員、長女は今年の4月から高校に進学し、次女は中学2年生になります。

私は2016年にYouTubeでラプトさんに出会い、2017年から『ラプトブログ』を通して信仰を持つようになりました。

〘ラプトブログ〙

https://rapt-neo.com/?page_id=1815

 

私は幼い頃から「ダンス」が大好きで、将来の夢は「プロのダンサーになりたい!」と思っていました。

小学5年生からジャズダンスを習い始め、20歳の時に専門学校でバレエ、モダンダンス、コンテンポラリーダンス、ジャズダンスを2年間習いました。

専門学校卒業後は、ストリートダンス系のダンススタジオに通い、ブレイキングダンス、ロックダンス、ポッピングダンス、ソウルダンス、ヒップホップダンスを習っていました。

アルバイトをしながらダンスを続けて行く生活をしていましたが、周りの友人や知人はダンスを止めて就職する人もいれば、東京に行ってバックダンサーの仕事に就く人もいました。

私は自分のやりたい事がハッキリと見い出せないままダンスに限界を感じ、24歳の時に「ダンサー」への夢を諦めてしまいました。

そんな時、母親から「フラメンコダンスをやらないか?」と誘われました。

ダンスのジャンルは違いましたが「踊れるなら良いかな····」と軽い気持ちでフラメンコを始めました。

母親からフラメンコを半年間ほど習ってから、母親の経済的な援助を受けてスペインへフラメンコ留学しました。

当時、介護職をしていた私は仕事を辞めてフラメンコを勉強するために、スペインのセビリアで半年間フラメンコ留学をしました。

帰国後は4箇所のカルチャースクールでフラメンコ講師の仕事をしていました。

 

2004年に母親が、フラメンコ教室兼レンタルスタジオの会社を設立しました。

2004年〜2014年まで、私はフラメンコの先生の仕事をしていましたが、2014年に会社の社長である母親との確執により仕事をクビになりました。

 

幼い頃から「踊る」ことが大好きだった私は仕事がクビになった後、精神的にも考え方もネジ曲がり「二度と踊るものか!!!」と投げ槍になっていました。

「踊る」生き甲斐を奪われた私は絶望と失望、不安や虚無感、強迫観念に囚われながら毎日を過ごしていました。

そんな時、YouTubeでラプトさんに出会うことができました。

〘RAPT × 読者対談7 神道ユダヤ教と悪魔教のつながり。悪魔教が日本に伝わった経緯〙
https://youtu.be/NhNckLBYLFk

 

〘RAPT×読者対談101 日本は昔も今も悪魔教の国〙

https://youtu.be/4zv1pehIk4Y

2017年からは〘ラプトブログ〙を通して、生まれて初めて「信仰」を持ちました。

 

信仰を持った翌年の2018年の10月から、私がもう一度ダンスを踊れるように神様が強力に導いてくださいました。

更に、2020年の3月からフラメンコを教える仕事に復帰できるように神様が強力な感動を与えてくださり、導いてくださいました。

『ラプトブログに出会ってから、自分が本当にやりたかった事を見つけることが出来ました』
https://pinehas.hatenablog.com/entry/2023/06/14/160243

 

2018年の10月から、私は娘2人と同じ「Bダンススタジオ」に通い始めました。

当初は、週1回のレッスンに通っていましたが、2019年7月7日の発表会をきっかけにダンスへの熱い思いが再熱していきました。

週に1回だったダンスレッスンを週2回、3回と増やしていきました。

翌年の2020年のダンス発表会では、3曲のナンバーに出演しました。

発表会が終わってから、更にダンスへの熱い思いが燃えてきたと思った矢先、左膝を痛めてしまいました。

病院で診てもらったところ「変形性膝関節症」と診断されました。

翌年の2021年は、コロナパンデミックにより発表会は中止になりました。

それから翌年の2022年は、ダンスの発表会直前に体調を崩してしまい発表会出演を断念しました。

私は「Bダンススタジオ」に通いながら、他の「Fダンススタジオ」にも一時期通っていた時もありましたが、膝の痛みと「Fダンススタジオ」のレッスン料金の高さとレッスン内容が自分に合わなくて、短期間で「Fダンススタジオ」を止めてしまいました。

 

私は「Bダンススタジオ」に通う、ずっと前から「Dダンススタジオ」に通ってみたいと密かに思っていました。

「Dダンススタジオ」には、私が20代の頃にダンスをしていた時の知り合いや先生方が今でもインストラクターとしてレッスンをされていました。

そして「Dダンススタジオ」に習いに行きたかった理由の一つに、S先生のレッスンを受けたいと思っていたからでした。

S先生は、私が若い頃にダンスコンテストで準優勝した時に優勝された方で、世界的に活躍されてきたヒップホップダンスのダンサーです。

私はS先生のダンスが大好きで、YouTubeでS先生のダンス動画を何度も見ていました。

「Dダンススタジオ」に通ってS先生のレッスンを受けたいと以前から思っていましたが、YouTubeでS先生のクラスレッスンの動画を見た時「レベルが高くてついて行けない···」と諦めていました。

でも、いつかはS先生に習ってみたいと思って「Dダンススタジオ」のホームページを頻繁に拝見していました。

 

2023年になり「Bダンススタジオ」でレッスンを続けていた私は、今年は久しぶりに発表会に出れると思っていました。

しかし、久しぶりの発表会は出演者同士のトラブルや金銭問題が多発し、発表会が終わった後もしばらく不快な思いを引きずるような最悪の発表会でした。

私は「どうして、こんな事になってしまったのか···。Bダンススタジオに入会した当初は、あんなにも楽しくて喜びがあったのに···。自分は何か間違っているのだろうか···?」と神様に祈り求めました。

しかも、発表会終了後も人間関係の問題やトラブルが続きました。

まず、次女がダンススタジオのオーナー兼インストラクターのY先生と問題を起こし、ダンススタジオを辞めさせられる事になってしまいました。

次女はY先生から、何年も前からパワハラモラハラを受けていた事がわかりました。

以前、次女がY先生に一度だけ反発した時から、次女はY先生からパワハラモラハラを受けていたそうです。

次女から更に詳しくY先生の事を聞いた時は、本当に驚きました。

Y先生は毎時間のレッスン後、生徒にスタジオの掃除やゴミ捨てをさせていたそうです。

発表会の時は、次女は4曲のナンバーを出演しなくてはいけないのに、発表会の準備や片付けや雑用をさせられていました。

長女も次女もY先生が大嫌いで「ダンスをきちんと教えてくれないのに、スタジオの掃除や雑用をさせられたり、レッスンもまともにやってくれない!」と言っていました。

レッスンの内容を娘2人から詳しく聞くと、Y先生はレッスン中は、ほとんど受付に座っていて生徒達だけで教え合いをしていたそうです。

案の定、Y先生のクラスレッスンは次々と人数が減っていき、Y先生のクラスだけ次々と閉鎖していきました。

私は「Bダンススタジオ」に来た当初は、とても恵み深くて楽しかったのに、年々トラブルや問題が増えて行く事に思い悩むようになりました。

左膝を痛めたので、ダンスレッスンは週に一回だけにして、フラメンコを教える仕事に支障をきたさないように気を付けていました。

レッスンは週に1回だけ、T先生のポッピングダンスを習っていました。

 

T先生がある日のレッスンの時「あ、俺テレビに出るし。朝の番組でちょっと映るし!」とおっしゃられました。

T先生がテレビに出演するきっかけになったのが、T先生が撮影したダンス動画をTwitterに投稿したところ、動画がバズったそうです。

その動画は、T先生がT先生のお母様と一緒に踊っている動画でした。

桜並木の場所で、T先生はお母様と一緒にポッピングダンスを踊った動画を見た時、私は驚きました。

T先生は、私が以前から行きたかった「Dダンススタジオ」の社長さんの息子だと、その時に初めて知りました。

「Dダンススタジオ」はT先生のお母様が経営されているスタジオで、T先生も「Dダンススタジオ」でレッスンをされていました。

T先生が「Dダンススタジオ」の社長さんの息子だと知った後も私は「Bダンススタジオ」に通い続けていました。

 

そして、2023年の12月に大きな変化が起きました。

私はT先生が12月にダンスコンテストに出場すると聞いて、大阪の会場まで応援に行きました。

そのダンスコンテストは毎月、大阪で行われているダンスコンテストで20年以上続いているダンスコンテストでした。

このダンスコンテストは「ジュニアの部(14歳まで)」と「一般の部(14歳以上)」に分かれており、2人以上のチームの部とソロの部で出場できるコンテストでした。

1月から11月まで行われるこのコンテストは、毎月ジュニアの部から1位〜3位までの受賞者が選ばれ、一般の部からも1位〜3位までの受賞者が選ばれます。

そして、1月から11月に1〜3位の受賞した人達が12月に集結して、グランドチャンピオンを決める大会に私は初めて次女と一緒に観に行きました。

実は、翌月の2024年1月に次女がそのダンスコンテストにソロで出場するので、下見の目的もありました。

私は、このグランドチャンピオン大会のジュニアの部の出場者のレベルの高さと表現力の高さに驚きました。

身体の小さな小学生や、あどけない中学生が大人顔負けの表現力と技術力で踊る姿を見て、私は心の底から「凄い!!!」と感動しました。

一般の部は、大人の技術力と表現力と構成力やアイデアで「さすが!」と思いましたが、私はジュニアのダンサー達からたくさんの事を学び悟りました。

因みに、T先生は一般の部で準優勝されました。

 

翌月、2024年1月に次女がそのダンスコンテストに出場しましたが、結果は残念ながら入賞ならずでした。

 

翌月の2月、T先生が全国規模のダンスコンテストに出場すると聞いて、またまた大阪まで応援しに行きました。

そのダンスコンテストは全国規模で行われる大会で、会場が1000人以上集客できる大ホールで行なわれました。

出場チームは約80チーム。

長丁場の大会でしたが、T先生のダンスは前回の12月に見た時とは遥かに上回るスキルとパフォーマンスで、私は心の底から感動し圧倒されました。

大会終了後、結果発表を心待ちにしていました。

その大会は、1位〜4位の入賞チームは全国大会の決勝戦に出場出来るシード権付きの大会でした。

私はT先生のチームが入賞するだろうと思っていましたが、残念ながらT先生のチームは入賞出来ませんでした。

私はこのダンスコンテストを見た後、更にいろんな事を感じ、気付き、悟りました。

そして、帰りの電車の中で心から神様に感謝しました。

ダンスが踊れること、習える場所があること、教えてくれる人がいること、努力した成果を観てもらえる場所あること、応援してくれる人がいること、そんな環境や機会や場所や状況を与えてくださっている神様に心の底から感謝しました。

 

当たり前の事が当たり前でない世の中になってきている今、自分自身が置かれている状況や環境がいかに恵まれているのかを悟り、感謝しました。

若い頃にダンスをしていた時は、ただただ自分が上手くなって目立ちたい、栄光を受けたい、人気者になりたいとしか思いませんでした。

自分が与えられた環境や機会や状況が当たり前で、不平不満ばかりを言っていた若い頃、自分の事しか考えなかった事を深く反省しました。

 

2023年の年末から2024年の年始にかけて、レベルの高いダンスコンテストを見続けたお陰で、私自身、何かとてつもない大きな希望と自信とやる気がみなぎってくるのを感じました。

私は改めて、自分自身で大きな目標と希望を持ち、それを神様に祈り求めました。

やる気満々になった私は、週1回のダンスレッスンを死にものぐるいで頑張ろうと思いました。

たまにしかやらなかった筋トレやストレッチも毎日、行なうようにしました。

そして、2月7日いつも通りT先生のダンスレッスンに向かいました。

そんな時、大きな問題が起こりました。

T先生のダンスレッスンは私を含め、7人の生徒が習っていました。

生徒の大半が男性で、大学生〜50代の方が習っていました。

その中で、女性は私ともう1人53歳の女性が習っていました。

その女性は、Kさん。

Kさんは、T先生のレッスンを6年ほど習い続けているベテランの方でした。

しかし、このKさんは以前からレッスン中の態度が悪く、他の生徒に対して嫌がらせや暴言を吐く事を繰り返しては、先生から注意される人でした。

私自身も、Kさんからは何度も嫌がらせや暴言を吐かれた事がありましたが、まともに相手をしませんでした。

しかし、2月7日にレッスンに行った時は違いました。

その日、T先生のクラスは生徒7人全員が出席し、スタジオ内は隣の人とぶつかりそうなほど狭い状況でした。

私は、いつもの定位置に立っていると、案の定Kさんが「ジグザグになりや!」と言ってきました。

因みに、そのKさんは自分の定位置を自分勝手に決めて、自分の定位置から絶対に動こうとせず、必ず大学生の男性生徒の横を離れようとはしない人でした。

私は彼女に言われた通り、T先生にぶつかるほど前に出てレッスンを受けていました。

そして、レッスン中盤に差し掛かった時でした。

T先生が次の曲を探してミクチャー前で準備をしていた時、Kさんがいきなり私に向かって「あんた!そこ立ったら先生が見えへんねん!」と恫喝してきました。

私は内心『いや、前に行けって言ったから行ったのに。レッスン中、いちいちKさんの見える位置を気にしながら私はレッスンしないといけないのか?』と思い、私は「じゃ、場所代わりますか?」と尋ねると「それは嫌や!!」と言われました。

その様子を見ていた周りの人達が引いて行くのを感じました。

その様子を見ていたT先生が、すかさず「K、お前そんな御局みたいな事を言うな!」と助けてくださいました。

しかし、Kさんはそれから私に対してあからさまに悪態をついてきました。

レッスンが終盤になった時、T先生が「2人組になって!」と言われた時、私は女同士という事でKさんと組まされましたが、その時も露骨に嫌な顔と態度をしてきました。

レッスン中、本当に小学生がするようないじめをKさんは私に対してしてきました。

無視、顔をさける、近寄らない、悪態、睨む。

私はレッスンが終わった後、家に帰って考えました。

そして、神様に「どうしたら良いでしょうか?」祈り求めました。

私が出した答えは「Bダンススタジオをやめよう!」と思いました。

でも、ダンスはやめたくない。

私は何気なく「Dダンススタジオ」のホームページを見ました。

すると、驚いた事に私が憧れていたS先生のレッスンが1月27日から1時間増えていました。

しかも、月曜日のお昼で夜のフラメンコの仕事には被らない時間帯で、しかも35歳以上の方が対象になっていました。

私は「これだ!」と思い、早速体験レッスンを申し込みました。

 

翌週、「Bダンススタジオ」に行くのを最後にしようと決心し、レッスンに行きました。

案の定、Kさんは私に対して悪質な態度を取っていました。

私に対して背中を向ける、顔を合わせない、避ける、無視する行為を露骨に行ってきました。

翌週の月曜日、楽しみにしていたS先生の体験レッスンを受けに行きました。

私は本当に感動しました。

若い頃から憧れていたダンサーで、YouTubeで彼の動画を見まくっていたダンスを間近で見た瞬間、本当にケタ違いの上手さだと思いました。

その日のレッスンは、とても簡単なステップやリズムの取り方を教えてくださいましたが、こんなシンプルで簡単なステップが、こんなにも凄いものなのかと思うぐらい素晴らしい踊りでした。

「Dダンススタジオ」では、月曜日はS先生のレッスンがあり、火曜日はT先生もレッスンを行ってくださっているので、私はこれからはここに通おうと思いました。

次の日の火曜日、私は「Bダンススタジオ」を辞めるためY先生に会いに行きました。

私は、Y先生に先日のレッスンで起こった出来事、Kさんからの恫喝が続いていた事を話しました。

すると、驚いた事にKさんから嫌がらせや暴言を吐かれて辞めて行った生徒さんが私を含め過去に9人もいた事を知らされました。

私は今回の事は、私とKさんだけの問題だと思っていたので、あまり事を荒立てずにT先生や他の生徒さんを巻き込みたくないと思ったのですが、スタジオのオーナーであるY先生が「Kにもっと言い返してやれば良いじゃないのか!」「一番の被害者は、私なんですよ!」「Kさんと話し合いを持ちましょう!」と事を大袈裟にしようとするY先生の話を聞いて、私は「あ、この人が一番おかしいかも···」と思いました。

Kさんは過去に何度も問題やトラブルを起こしているにも関わらず、スタジオのオーナーであるY先生はKさんを何年もそのまま放置していた。

他人に暴言を吐いたり、嫌がらせをするような人と話し合いを持たせようとさせるY先生を見て、つくづく「このダンススタジオは辞めた方が良い···」と思いました。

しかも、Y先生は話し合いの後半では次女に対しての悪口を言い続け、最後には「〇〇(次女の名前)は、学校で同級生に虐められたら良いんですよ!きつい虐めに合えば良い!」と言われました。

私は今回の事で、改めてY先生と話をした時に「頭のおかしい経営者のダンススタジオに、いつまでも居てはいけないと神様が導いてくださったんだ!」と悟りました。

 

新たに通い始めた「Dダンススタジオ」は、どのクラスの生徒さんも熱心で優しく思いやりのある人達が多いのに驚きました。

次女も私も一時期は個性才能を伸ばせる環境や状況を奪われてしまったのかと思いましたが、そうではなく、神様がもっと良い環境やもっと良い先生のいるダンススタジオに導いてくださったのだと悟りました。

YouTubeでしか見れなかった憧れのダンサーの踊りを今では毎週、間近で見れる感動と幸せを噛み締めています。

更に、憧れていたダンサーのS先生の指導方法にも毎回、毎時間驚かされます。

ただ、振付を教えるのではなく、1つの基本ステップが出来た歴史、シンプルなステップから派生する豊富なバリエーション、シンプルなステップを何パターンも組み合わせて踊れる実力と能力。

ダンスレッスンを受けに行ってるというよりは、大学の講義を受けているようで、毎時間がとても知識深く新鮮で面白くて本当に楽しいです。

 

「Dダンススタジオ」に行きたいけど、なかなか勇気を出せずに尻込みしていた私に、神様が「ここに行きなさい!」と背中を押してくださったんだと思いました。

本当に神様に感謝しました。

 

Y先生の「Bダンススタジオ」をやめてから、約1ヶ月程経った頃、私は「Dダンススタジオ」で行われているT先生のレッスンに参加しました。

T先生は、ご自身のダンススタジオでレッスンされていることもあり「Bダンススタジオ」でレッスンされている時よりも活き活きとされていました。

「Dダンススタジオ」でT先生のレッスンを受けていらっしゃる生徒さん達も、みんな仲良くて社交的で優しい方ばかりでした。

 

レッスン終了後、T先生とKさんの事を少しだけお話をしました。

私が「Bダンススタジオ」をやめた翌週に、T先生はY先生とKさんとで話し合いをされたそうです。

話し合いの結果、T先生がおっしゃるには「Kさんはもうレッスンに来ない!あいつは、もう辞めるわ!」とおっしゃってました。

話し合いの中でKさんは、理不尽な暴言や恫喝行為、迷惑行為によるレッスン妨害、他の方々に迷惑をかけ続けたにも関わらず「私は言いたいことを言ってストレスを溜めない主義だ!」と開き直っていたそうです。

更に、Kさんは「どんな言葉を言ったら人が傷つくか、嫌な思いをするかが分からない···」とも言っていたそうです。

私は、この話を聞いた時に本当に「Bダンススタジオ」を辞めて良かったと思いました。

人が傷つく事が分からない、人が嫌な思いするのが分からない、だから私は自分のやりたい事、言いたいことを言う人と同じレッスンを受けられない。

「こんな人間と関わってはいけない」と神様が私を守ってくださり、更に今よりも良い環境、良い先生のレッスンを受けられるように導いてくださったと思いました。

KさんはT先生のダンスレッスンだけではなく、他のクラスも多数受けていたのですが、そのレッスンも来なくなったそうです。

 

「Bダンススタジオ」から「Dダンススタジオ」に通うようになってから約1ヶ月程経った頃、長女から「BダンススタジオのC先生が辞めるらしいよ」と聞きました。

C先生は「Bダンススタジオ」では1番人気のある先生で、たくさんの生徒さんが習っていました。

私は驚いて「Bダンススタジオ」のホームページを見たところ、C先生だけではなくM先生もN先生も「Bダンススタジオ」を辞めていました。

C 先生もM先生もN先生も「Bダンススタジオ」では人気の先生だったので本当に驚きました。

「Bダンススタジオ」は、他のダンススタジオと違ってシステム上、レッスンの振替が出来なかったり、レッスンを休む時は必ず連絡しないといけなかったり、発表会に出演する時も毎年毎年欲しくもないオリジナルTシャツを買わされたり、年々レッスン時間は減って行ったり、インストラクターもコロコロ変わっていました。

「Bダンススタジオ」は明らかに経営不振だと思えるような状況の中で、更に人気のインストラクターが3人も辞めたのは本当に裁きだと思いました。

 

次女は小学2年生から中学1年生まで「Bダンススタジオ」に通っていましたが、仲の良い友達も出来ず、仲の良い友達が出来てもスタジオを辞めて行く人ばかりでしたが「Dダンススタジオ」に通ってからは友達にも恵まれて本当に楽しそうにしています。

神様は私だけではなく、次女にも素晴らしい祝福と導き、環境や状況を与えてくださいました。

本当に神様の御力と導き、恵みに心から感謝致します。

『RAPT有料記事647(2022年4月30日)』

【神様は真理によって人々を刺し貫き、聖霊様は恵みと愛によって人々の心をほぐされる。それによって、人類を悔い改めに導き、人類が御言葉に聞き従って祝福を受けられるように導かれる。】

 

『RAPT有料記事619(2022年1月8日)』

【主は、私たち人類の中からご自身の恋人(新婦)となる人を見付け出して、その人と永遠に愛を成していけるように導き育てられる。】

 

『RAPT有料記事615(2021年12月25日)』

【これからの時代、主のために生きる者は主の導きを受けて、成功の繁栄の道を行くことができるが、主に反逆する者は、この世をまともに渡り歩くことすら困難になっていくだろう。】

 

『RAPT有料記事267(2018年4月14日)』

【主から導き育てられる人は、人生に意味のないことが起きることがなく、良いことも悪いことも全てを益にして生きることができる。】

 

『RAPT有料記事779(2023年10月2日)』

【神様はサタンよりも百歩も二百歩も先を行かれる方だ。だから、サタンがどんなに妨害しても、必ず神様の御心が成されるように、常に水面下で救いの計画を立てて実行しておられる。】

 

信仰生活を始めてから今年で7年目になりますが、家庭環境や仕事、生活面で悪い状況や環境になった事は一度もありません。

一人でも多くの方がラプトさんに出会い、神様の御言葉に出会い、神様からの素晴らしい導きと祝福と愛を受けられますように祈っております。

 

 

 

 

『神様に祈り求めることで、信仰を持たない人にも良い影響を与える事が出来ました。』

私は今、フラメンコダンスを教える仕事をしています。

 

私は2001年〜2014年までフラメンコダンスを習い、教えてきました。

2001年から約半年間、スペインへフラメンコ留学をし、帰国後はカルチャーセンターでフラメンコを教える仕事に就きました。

2004年からは、会社の社長(母親)と一緒にフラメンコ教室兼レンタルスタジオの会社を設立しました。

幸運にも会社は立地や時代的なものが重なり、フラメンコ教室の生徒さんは100人ほど在籍する教室へと発展し、レンタルスタジオは常にキャンセル待ちの状態が続きました。

しかし、2014年に社長から「クビ」を言い渡され、私は仕事を辞めました。

仕事をクビになった理由は、会社の社長である母親との確執でした。

仕事に対しての考えや方向性の違い、会社運営の方針や目的が合わないことが理由でした。

仕事を辞めた私は、次なる人生の目標や夢を探しましたが見つからず、途方に暮れていた時にラプトさんに出会う事が出来ました。

2016年にラプトさんをYouTubeで知り『ラプトブログ』に出会い、神様を知ることが出来ました。

2017年から『ラプトブログ』を通して信仰生活を始めました。

『ラプトブログ』

http://rapt-neo.com/?page_id=1815

 

それから、2020年の11月に「もう一度踊りたい!」と感動と恵みを受け、それからいろんな偶然が重なり2021年3月から再びフラメンコを教える仕事に復帰しました。

仕事復帰して驚いたことは、フラメンコ教室に100人ほど在籍していた生徒さんは40人ほどに激減していました。

レンタルスタジオも、周辺に同じようなスタジオが建ち並び、利用客はほぼ0に近い状態でした。

コロナ禍の影響もあり、会社はいつ倒産してもおかしくない状態でした。

 

仕事復帰した当初、立て続けに問題やトラブルが続きました。

クレーマーのような生徒さんから妨害を受けたり、従業員同士のトラブル、レッスン内容の不平不満の対処など。

私は「本当に仕事復帰して良かったのでしょうか?」と何度も神様に祈り求めました。

 

2023年になり、神様は義人には祝福が増し加わり、悪人は裁かれる時代になるとおっしゃられました。

【RAPT有料記事721(2023年2月12日)2023年に入ると、人類に対する刑罰の期間が終わり、千年王国の時代に入る。千年王国の祝福に預かることができるように、心から全ての罪を悔い改め、希望をもって神様に近付いていきなさい。】

 

その御言葉通り、私を幼い頃から迫害し仕事をクビにした母親が裁かれました。

母親(70代)は以前から股関節炎を患っていましたが、まだまだ踊り続けたいと言う理由で2023年の9月に片方の股関節を人工股関節にする手術をし、10月にもう片方の股関節の手術をしました。

本人は「手術は上手く行った!後は、リハビリをして回復するだけ!」と言っていましたが、日に日に痩せこけていき、長時間座る事も立ち続ける事も出来ず、日常生活は杖なしでは生活出来なくなり、到底踊れるとは思えない身体になりました。

 

母親が動けなくなってから、私の周りで起こるトラブルや問題が一気になくなりました。

それと同時に、母親からフラメンコを長い間習ってきた生徒さん達から深刻な相談を受けました。

「フラメンコを10年以上やっているけど上達しない!」

「簡単な振付や踊りでも、見た人がフラメンコを踊ってると説得出来る踊りがしたい!」

「一度で良いからソロ(1人)で踊ってみたい!」(フラメンコは基本ソロで踊るのが主流です)と、言われました。

私はなぜか、この言葉に大きな責任感と感動を覚えました。

私は早速、通常レッスンの他に基本テクニックを重視した振付をしないクラスレッスンを作ろうと考えました。

会社の社長である母親に提案をしたところ、案の定、猛反対されました。

しかし、生徒さんの思いを叶えたいと思い、交渉続けた結果、月2回だけのテクニック専門クラスを作る事ができました。

母親からは「以前にも、テクニッククラスは何回も作ったことはあるけど、誰も来なかった。みんな、振付ばかりをやりたがるから!たぶん、誰も来ないと思うよ!」と言われました。

その言葉を聞いた私は「クラスを作ったものの、誰も来なかったらどうしよう···」と不安でした。

そして、初回のテクニッククラスの日、私は3人ぐらいしか受けには来ないだろう思っていましたが、実際は7人の方が受けてくださり、今は5〜6人の方が常時習いに来てくださるようになりました。

 

テクニッククラスを開講した当初は、基本テクニックを重点的に教えていたのですが、毎時間同じ内容、同じテクニックを教えるわけにはいかないと思い、次は何を教えれば良いのか、どんな内容を教えれば良いのか分からなくなった時、私は神様に祈り求めました。

神様に祈り求めると、必ず「あっ、今度はこれをしよう!あれもしよう!」とアイデアが2〜3個頭に思い浮かびます。

時には、生徒さんの方から「〇〇をして欲しい!」とか「この練習方法が分からないから教えて欲しい!」と、提案してくださる事が何回もありました。

仕事の事で、困った事や悩んでる事、どうすれば良いのか分からない事は、神様に祈り求めれば必ず答えを与えてくださいます。

時には、指導方法や言葉のチョイスも与えてくださいます。

必ず、本当に必ず、祈り求めれば与えてくださる神様の奇跡と恵みに毎回、驚かされ神様に感謝をしています。

 

 

先日、11月26日に生徒さんだけが出演するフラメンコライブ(ミニ発表会)が行われました。

このライブも、神様が奇跡と恵みを私だけではなく、信仰を持っていない生徒さん達にも奇跡と恵みを与えてくださった出来事がありました。

 

生徒さん達だけのフラメンコライブをやろうと話が持ち上がったのは、2023年の5月頃でした。

生徒さん達から「一度で良いから、ソロで踊ってみたい!」と言う願いを聞き、ソリストを募ったところ4人の方が出演したいとおっしゃってくださいました。

フラメンコ歴3年目の方が1人、フラメンコ歴8年目の方が2人、フラメンコ歴10年以上の方が1人、そしてグループで出演したいと、フラメンコ歴15年以上の4人の方が出演希望をおっしゃって来られました。

早速、私は神様にお祈りをしたところ、4人グループで踊られる方々の曲の構成や振付、演出を神様からすぐにいただきました。

4人グループの方達は、15年以上フラメンコをやって来られた方達なので、テクニックや振付にあまり妥協せずにやりたい事が出来ると思い、思う存分やってみようと思いました。

一方、ソロで出演される方達は、曲を決めるところから始まりました。

各自、踊りたい曲を決めてもらい、本人のレベルに合わせた振付や構成に変更していきました。

人生で初めて人前で一人で踊るという未知の経験に、4人の生徒さんは日々不安と心配が募り、焦りと緊張が高まって行くのを感じました。

そんな生徒さんの姿を見て、私は日々の祈りの中で「この人には何を教えれば良いのでしょうか?」「この人は、何が必要なのでしょうか?」

「この人には、何を伝えれば良いのでしょうか?」と神様に祈り求めました。

まず、ソロ出演者だけのミィーティングを行いました。

そして、4人の方々に自主練習の動画を送って欲しいと伝えました。

自主練習の時に、分からない事や質問や疑問があれば、24時間いつでも連絡をしてくださいとも伝えました。

最初は自主練習方法が分からなかった生徒さん達でしたが、次第に自ら自主練習を積極的にするようになっていきました。

しかし、自分なりのやり方や考え方では、やはり上達するのが難しく、自主練習をすればするほど何が正しいのか、何が間違っているのか分からなくなってくると全員が訴えて来られました。

私は神様に祈り求めました。

そして、個人レッスンを受付ました。

正直、もっと早い時期から個人レッスンを行っても良かったのですが、会社が決めている個人レッスン料は値段が高く、生徒さんに経済的な負担をかけてしまうと思って、なかなか言い出せず躊躇していました。

しかし、神様にお祈りする中で、やはり一人一人に合った指導方法と言葉かけをしないと上達は難しいと教えていただきました。

私は申し訳ない気持ちで、生徒さんに個人レッスンを提案したところ、私の思いとは逆に「ぜひ、やって欲しい!」と何度も何度も懇願されました。

 

個人レッスンを開始してから一番驚いた事が、踊りが上達しない原因は身体的な能力や肉体的な問題ではなく、ほとんどの方が「考え方」が間違っていることに驚かされました。

例えば、フラメンコはタップダンス同様、足を床に叩きつけて打楽器のようにリズムを奏でます。

足の基本的な打ち方は出来ているのに、速度が早くなったり3連打法や4連打法になると打てなくなってしまう。

どうして出来ないのか、生徒さんに話をよく聞いてみると、ほとんどの方が「足全体に力を目いっぱい入れて打っている」とおっしゃられました。

もっと話をよく聞くと、足の打ち方だけでなく、踊る時は常に全身に力を入れて踊っていると聞いた時は、本当に驚きました。

踊る時に力を入れるのは、時と場合やタイミングにもよりますが、体の一部分だけに力を入れたり抜いたりすることが大半です。

特に足を打つ時は、力を抜かないと速く打てないと説明をしたら生徒さん全員が驚いていました。

実際、力を抜いた足の打ち方をレクチャーしたら、人によってはたった10分程度でマスターする方がいたり、10年以上フラメンコを習ってきて初めて速く打てるようになったと喜ぶ方もいました。

 

個人レッスンを行う上で、私はいかに考え方の間違いが自分の才能や能力の成長を妨げているんだと悟りました。

実際、私自身も考え方の間違いによって、なかなか上達しない時期があったので、生徒さんの気持ちがよくわかりました。

特に長い間、間違ったやり方を正しいと思い込んでやっていた人ほど、そのクセがなかなか抜けずに基本的な事さえ出来なくなって行く人もいました。

私自身も生徒さんを教えながら、基本に立ち返る事や自分で考えながらやる事がいかに大切なのかを悟りました。

 

その後、改めて生徒さん達を観察しながら、私はいろんな悟りと感動を何度も受けました。

フラメンコを好きで習っている生徒さんにも、いろんなタイプの方がいらっしゃいます。

熱心な人、努力を怠らない人、目標を持っている人、常に前向きな人。

そんな生徒さん達には、やはり私自身も努力して見える結果を出せるようにしてあげたいと指導にも熱が入りますが、生徒さんの中には趣味と割り切って意欲がない人、まったく練習しない人、プライドが高い人、自分は出来ていると思い込んでいる人、しんどい事が嫌いな人、言い訳ばかりする人もいらっしゃいます。

モチベーションが低い生徒さんが多く集まったレッスン日は、やはり私自身もやる気があまり出ないし、熱心に教えようとは思わなくなります。

レッスンでは、いろんな生徒さんが的外れな意見を発言したり、説明した事とは違う事を行うのを見て、残念に思ったり気分が悪くなる時がありますが、その日のお祈りの中で私は「神様は信仰生活をする私を見て、神様もこんな残念な気持ちになられているのでしょうか?私の足りなさや未熟さに嫌な気持ちになられているのでしょうか?」と何度も思うことがありました。

 

ラプトさんが伝えてくださっている神様の御言葉には「考え」について教えてくださっています。

【RAPT有料記事744(2023年5月15日)人にはそれぞれ考えの癖があり、その癖が直せなくて間違いを犯してしまう。神様と同じ思考パターンを持っていれば、何を行っても間違うことがなく、常に正しい選択をして救われ、成功する。】

 

【RAPT有料記事436(2020年1月13日)どんな時代も、古い考えにこだわる人は落ちぶれ、新しい考えをもって生きる人だけが成功し、発展する。】

 

【RAPT有料記事763(2023年7月31日)自分がもともと持っている考えではサタンに勝利できず、むしろサタンにその部分を突かれて滅ぼされてしまう。だから、子供のような心で完全に自分の考えを一新し、神様の御言葉で自分の中を満たさなければならない。】

 

【RAPT有料記事675(2022年8月15日)真理を悟ることで脳が一新され、新しいことを考え、新しいことを行うようになる。そうすることで人生が発展し、自分自身も楽しみを感じ、周りの人も神様も楽しませることができる。】

 

【RAPT有料記事670(2022年7月30日)考えの次元が高い人は、全ての苦悩・心配・不安・絶望といった暗い考えから完全に解放される。】

 

自分勝手な「思い込み」や「考え」が踊りのテクニックの習得を妨げ、出来ないという苦手意識を生み出し、やる気をなくさせてしまう。

身体的な能力や肉体的な実力がないのではなく、ただ「考え方」を変えるだけで能力も実力も伸ばすことが出来るんだと、生徒さんを通して悟る事が出来ました。

 

フラメンコライブまで後2ヶ月に迫った時、私は生徒さん達に「自主練習に思い込みをかけてください!」と伝えました。

それから、生徒さん達は時間の許す限り自主練習に励まれました。

人によっては、毎日のようにスタジオに通われた方もいらっしゃいました。

すると、ハッキリと目に見える成果が出始め、私の予想を遥かに超えて驚くほどの成長ぶりを遂げた方もいらっしゃいました。

何度かリハーサルを行った際、私が担当していないクラスの生徒さん達が「凄いですね!」「皆さん、レベル高いですね!」とおっしゃって来られました。

私は「これは私の力ではなく絶対に神様の力だ!」と確信していました。

なぜ、そう言い切れるか。

実は、私は過去に同じような取り組みをやって大失敗した事があったからです。

仕事をクビになる以前の2001年〜2014年まで、私は生徒さんのフラメンコ育成に力を入れていた時期がありました。

当時は、ラプトさんや神様の存在を知らず、自分の経験と力と独学だけで、生徒さんを育成する事に全力を尽くしていました。

今回とは比べものにならないくらい長期間の個人レッスンを行い、テクニッククラスも行っていました。

ところが、フラメンコの育成どころか生徒さんが一人、また一人と逃げるようにフラメンコをやめて行く結果になって行きました。

唯一、私が教えていた人の中にプロになった人もいましたが、その人は私が教えていた頃はあまり上達せず、他のフラメンコ教室に移ってからプロになられました。

その苦い過去の経験が今回もまた、同じ結果になってしまうのではないかと不安でした。

しかし、以前とは比べものにならないくらい早いスピードで生徒さん達が素晴らしい結果を出し始めた時は、本当に神様の力と奇跡と恵みを感じました。

 

本番1ヶ月前、私は生徒さんに「追い込み練習はやめて、イメージトレーニングや苦手な部分だけをやって、体調管理をメインに本番を迎えてください!」と伝えました。

長年、ダンスの舞台やライブをやっていると「本番前あるある」なのが、本番直前の追い込み練習でケガをしたり、体調不良を起こす方がいたので気を付けるように注意を促しました。

神様に祈り求めたお陰で、本番は誰一人欠けることなく当日を迎える事ができました。

 

いよいよ本番当日になり、リハーサルを開始しました。

リハーサルは、私が思っていた以上にみんな失敗の連続でしたが、なぜか当の本人達は冷静でした。

私だけが不安と心配の中、いよいよ本番が始まりました。

会場内に入った瞬間、会場全体にとても嫌な緊迫感と緊張感が漂っていました。

私はその嫌な緊迫感と緊張感に、一瞬押しつぶされそうになり、心臓が口から飛び出そうな圧迫感を感じました。

そんな雰囲気の中、トップバッターの方が踊り始めた瞬間、不思議なことに、さっきまで会場全体に広がっていた嫌な緊迫感や緊張感が一気に消えてなくなり、何か柔らかくて優しくて、安心出来る雰囲気が会場全体に広がって行きました。

不思議でした。

本当に不思議でした。

本当に不思議な感覚でした。

私の経験上、会場の緊迫感や緊張感などは開演しても、しばらくは続くものなのに、トップバッターの方が踊り出した瞬間、会場の空気が一瞬にして変わったのを感じました。

そして、トップバッターの方は、ほぼ完璧に踊られました。

それも、いつもよりパワフルでした。

次の方も、トップバッター同様に完璧に踊られましたが、この方もいつも以上にパワフルで素晴らしい踊りをされました。

会場は大きな拍手が鳴り響きました。

次の方は、私にとって一番心配な方でした。

結果、ミスは数カ所ありましたが、なんとか持ちこたえて最後まで踊る事が出来ました。

そして最後のソロの方が踊られました。

その方の踊りは、今まで見た中で一番素晴らしい踊りを見せてくださいました。

次の4人グループの踊りも、ほぼ完璧でした。

無事に全員が踊りが終わった後、みんな満足した顔をして楽屋でくつろいでいました。

私は、本当に驚きました。

本当に神様の力が働いてると思いました。

2001年〜2014年の間、私は生徒さんの作品をたくさん作ってきましたが、こんな成功率の高いライブは初めてでした。

しかも、人生初のソロ挑戦の4人がほぼ完璧に踊れるとは、本当に驚きました。

そして、お客さんからも高い評価をたくさんいただく事が出来ました。

私はライブが終わった後、神様の力がどれほど凄いのかを改めて悟りました。

 

ライブをやると決まってからの約半年間を振り返り、生徒さんが10年以上、8年以上フラメンコを続けて出来なかった事が、次々と出来るようになったり、物凄い早さで上達される姿を見て、私は神様の力と恵みと奇跡を何度も体験することが出来ました。

そして、私自身も神様の御言葉を改めて実感し、学ぶ事が出来ました。

神様が教えてくださった事は何か?

「寄り添ってあげること」

「話をよく聞いてあげること」

「相手の考えを理解すること」

「同じ目標を目指すこと」

「最後まで責任を持つこと」

私が過去に行ったフラメンコ育成の大失敗には、このすべてが足りていなかった。

ただ、自分の考えと経験を押し付けて、傲慢に教えていたんだと深く反省をしました。

 

神様に出会ってなかった頃の私は、何をやっても、何年やっても上手くいかず、何かやりたくても失敗に終わっていた原因がやっと理解出来るようになりました。

 

神様の御言葉通りに仕事を行い、人との関わりを持つと、こんなにも上手く行くのかと本当に驚きました。

神様の力や奇跡や恵みは、私だけに留まらずに信仰を持っていない生徒さん達にも恵みと奇跡が起こるんだと分かった今、たくさんの人達が神様の御言葉に出会える事を心から祈ります。

たくさんの人達が神様の御言葉に出会い、救われますように。

 

『ラプトブログに出会い、世の中の面倒な煩わしい事から解放されました。』

私は『ラプトブログ』に出会う前、義務的な人との関わりが面倒で煩わしくて嫌いでした。

 

今まで経験した中で一番「無意味で煩わしい」と思ったのが、子供の学校で行われる強制的なPTA活動と、住んだ場所によって活動内容が異なる町内会の行事やイベントでした。

 

私には娘が二人います。

子供が幼稚園に通っていた時に「父母会(PTA活動的な役)」を2年間努めました。

幼稚園の父母会は、ママ友もたくさん作れて行事も子供達と一緒に参加出来き、父母会の役員さんだけの優遇もあったので、楽しく役を努めることが出来ました。

しかし、子供が小学校に入学した時のPTA役員はまったく違いました。

PTA役員の決め方や規制、契約が強制的で絶対にやらなくてはいけない脅迫的な圧力に違和感を感じました。

仲の良かったママ友からの誘いと、PTA本部役員を1年間やれば永久免除(子供が何人いても、二度としなくて良い)が付く条件を聞いて、2017年からPTA本部役員の副会長を1年間努めました。

 

小学校のPTA活動をやり始めてすぐに気づいたのですが、PTA活動はあくまでも任意であり強制ではないという事でした。

地域や学校によって活動内容は異なりますが、私が経験したPTA活動は、長年に渡りPTA会長をやってきた牢名主のような人が、ただ自分の自己顕示欲を満たすための場所であるのだと解りました。

「PTA会長になりたい!」「目立ちたい!」「仕切りたい!」人が独断と偏見で意味もない会合を何回も開いては仕事は増やす。

だけど、自分は楽な仕事しかしなかったり、人から注目される仕事や先生や子供達から良く思われる行事だけをこなしているのが、後々になって分かってきました。

(※全国にはいろんなPTA活動があり、中には学校のため、先生や保護者のために仕事を軽減化させたり、エントリー制にして努力されている学校もたくさんあります)

 

PTA活動と並んで、私が煩わしく思っていたのが町内会の活動でした。

私が住んでいる地域の町内会の活動は、世帯数が少ないのに町内会の役割数が多いことでした。

どこの誰の役に立っているのか分からない防災訓練や町内会の運動会、グランドゴルフの抽選会や全地域の集会など。

いくつかの役で何度か参加しましたが、いつ、誰のために役に立ってるのか理解できませんでした。

町内会の役割決めも、毎年、役のなすり合いになり、年配の一人暮らしの人は大変だからと言われ、結局仕事量がたくさんある役を毎回させられていました。

集まらない会合の出欠確認や募金集め、町内会の運動会の準備や買い出しや片付けなど。

本当に誰も喜ばない無駄な事ばかりで、うんざりしていました。

 

 

保護者だけが負担を強いられるPTA活動や、会ったこともない近所の人のために自分の時間を無駄に削られる町内会の活動に何度も憤りを感じました。

 

当時、ラプトブログに出会っていた私はPTAにも何か闇なるものがあるのではないかと思って、いろいろ調べてみました。

 

調べてみた結果、全国から集められたPTA会費は「分担金」として全国PTA連合会に集められ、毎年役8000万円にもなるそうです。

 

『知られざるPTAの上部組織「P連」「日P」の謎 | PTAのナゾ | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース』

https://toyokeizai.net/articles/-/135914?page=3

 

ジャーナリストの方が、PTAの分担金の使用内訳をPTA連合会に開示を求めたところ、開示を拒否されたそうです。

『保護者から集めた事業収益は4000万円超え 謎多き「PTA全国研究大会」で取材拒否(大塚玲子) - 個人 - Yahoo!ニュース』

https://news.yahoo.co.jp/byline/otsukareiko/20190909-00141505

 

私はPTA関連の記事を読み漁り、時期PTA会長をされる方が仲の良かったママ友だったので、すべてを打ち明けてPTA活動を見直して欲しいとお願いしました。

その後、会長になってくれたママ友が他の小学校の会長や学校の先生方、町内会にも働きかけてくれたお陰でみるみるとPTA活動が縮小されていきました。

そして2020年、コロナパンデミックが起こりました。

コロナパンデミックがマスコミで騒がれ出す以前に、ラプトさんはもうすでに「コロナは茶番だ!」と暴いてくださっていました。

『ラプト理論+α』

https://rapt-plusalpha.com/

 

コロナ禍が始まった途端、PTA活動や町内会の活動はすべてなくなりました。

 

主人が公務員のため、出勤日数に規制がかかり一時期、収入が極端に減ってしまいましたが、学校行事の出費もなくなり、子供達の習い事のイベントもすべて中止になり、またまた出費もなくなりました。

 

コロナ禍によって多少の不便はありましたが、私には本当に有り難いことばかりで、本当に神様に感謝しました。

そして、私はコロナ禍をきっかけに子供の中学校のPTAは入会拒否し、町内会も退会しました。

 

 

そして、2022年。

私が住んでいる京都の京都新聞に「京都市PTAが日本PTA連合会を退会する」記事が出ました。


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私はこの記事を見て、すぐに元PTA会長のママ友(写真に写っておられる方ではありません)に連絡をしました。
(因みに、写真に写っておられる方は、私が幼稚園の父母会の時に一緒に役をされていた方です)

 

ママ友曰く、私が見つけた日本PTA連合会の分担金の使用不明の記事を、自分がPTA会長職の時に周りの人達に知らせて働きかけてくれたそうです。

現場の声、違法性のあるPTA活動内容や保護者の多大な負担の訴えをかき集め、京都市PTA連合会に訴えてくれていたそうです。

私はこの記事を見て、神様の力だと思いました。

無駄な事を排除してくださったのはきっと、絶対に神様の力だと確信しました。

 

 

私は他にも、幼い頃から正月の初詣やおせち料理、ひな祭りや子供の日などを無意味で面倒で嫌いでした。

こんな行事をして、こんな料理を食べて、本当に幸せになれるのかずっと疑問でした。

特におせち料理は大嫌いで「今のご時世、美味しい料理や食べ物がたくさんあるのに、なぜ数百年前のご馳走を食べないといけないのか?」と思っていました。

『ラプトブログ』では、日本の年間行事は悪魔崇拝儀式だとラプトさんは暴いてくださり、十二弟子のミナさんも証をしてくださっています。

『日本の年中行事は、ほとんど全て悪魔崇拝儀式だった(十二弟子・ミナさんの証) | RAPT理論+α』

https://rapt-plusalpha.com/22132/

 

 

『神様はすべてを益にしてくださる』と、ラプトさんは教えてくださいました。

神様の御力によってコロナ禍でも私の人生が良い方向に向かい、今までの思い煩いや無駄な出費や時間をとられることもなくなり、身軽で楽しい生活を手に入れることが出来ました。

 

『ラプトブログ』に出会えて本当に良かったと思います。

一人でも多くの方がラプトさんに出会い、神様に出会えることを心からお祈り致します。

『ラプトさんに出会えたこと、神様に出会えたことこそが、人生最大の喜びと恵みと幸福だと思います。』

私は毎朝、犬の散歩に行きます。

散歩をしている時、たまに出会う方がいらっしゃいます。

その方はトイプードルを4~5匹連れて散歩されています。

年齢は60代ぐらいの女性で、左耳に5つぐらいピアスをつけ、髪型はショートカットで茶髪。

肌は色黒。

服装は若々しく、近づくとタバコの臭いがして、会話をすると酒焼けした声質の方です。

その方は、私の愛犬ラブラドールレトリバーの「ノア」をとても可愛がってくださいます。

先日、その方と久しぶりに出会い、いつものようにノアを撫でてくださっていました。

その時、その方が私が着ていたマイケル・ジャクソンのTシャツを見て「あれ?それ誰?」と尋ねられました。

私は「あっ、マイケル・ジャクソンです。昔から大ファンなんです!」と話すと、その方は「私はレゲエが好きなの!ボブ・マーリーが大好きなの!」と話してくれました。

 

私は20代の頃、マイケル・ジャクソンをはじめ、ジャネット・ジャクソン、MCハマー、ボビー・ブラウンマライア・キャリーケニー・ロギンスTLCローリン・ヒルなど、洋楽にどハマりしていたので、ボブ・マーリーの「One Love」だけは知っていました。

 

その方が「若い頃は、よくレゲエバーに行って友達と朝まで遊んだのよ!」と活き活きしながら話始めました。

その方が言うには、若い頃は今よりもレゲエバーがたくさんあって、毎日のように夜遅くまでレゲエバーで遊んでは早朝に帰っていたそうです。

友達もたくさんいて、どのレゲエバーに行っても友達がいて楽しかったと話されていました。

そして「あの頃は楽しかった!お金もあったし良い時代だった!!」と話されました。

 

以前、この方と同じような話を私にしてきた人がいました。

今、通っているダンススタジオのオーナーです。

オーナーと話をした時も、オーナーはバブル期の頃の話をしながら「あの頃は良かった!良い時代だった!!」と同じ事を話されていました。

私の母親も昔の話をしては同じ事を言っていました。

今現在、年齢が60代、70代の方と話をすると、必ずバブル期の頃の話をしては「あの頃は、良かった!良い時代だった!!」と話をしてきます。

 

しかし、私はバブル期の頃は地獄だと思うぐらい辛くて苦しい時期でした。

今でもバブル期の頃を思い出すと、気分が悪くなるぐらいです。

 

あの頃、テレビやマスコミは「トレンディドラマ」「高級ブランド」「マハラジャ」「ジュリアナ東京」「アッシー」「メッシー」「勝ち組、負け組」など、お金を持っている人間がいかに優れた人間であるかのように囃し立てていました。

女性は、いかに男性からモテた方が良いか。

恋愛経験が豊富にある女性が高く評価され、モテる女性は幸せになれる風潮が蔓延していました。

周りの人達は、世の中のトレンドや流行について行けるかどうか、いかに楽をして大金を稼げるかなどをよく話していました。

そんな周りの人達が浮かれ騒いでいたバブル期の頃、私はお金もなく仕事も転々としていました。

私には夢がありました。

やりたい事もたくさんありました。

しかし、夢を叶えたいと思っていても、叶える方法すら分からず、経済力もありませんでした。

どこで何をすれば良いのかさえ分からない状態が何年も続きました。

自分の夢を周りの人達に相談しても「人生、そんな簡単には行かない!」「夢よりもお金!」「愛よりもお金が大切!」「長いものには巻かれろ!」など、自分の夢を否定するか、諦めるように促す人ばかりでした。

そんな人達を見て、私はいつも不思議に思っていました。

あの頃、周りの人達と話をすると、ほとんどの人が幼い頃から抱いていた夢があったり、やりたかった事があるのに、その夢や希望を簡単に諦めて、やりたくもない仕事に就いて毎日、不平不満を言いながら生きている姿を見て「どうして?なぜ、この人達は今の現状で満足出来るのか?」「どうして?夢があったのに、やりたい事もあったのに、やり続けないのか?」「どうして、簡単に夢を諦めるのか?」と、本当に不思議でした。

 

あの頃、一番辛く苦しく感じたのが、都会や繁華街に行くことでした。

都会や繁華街に行くと、恐ろしいほどの虚無感や自己嫌悪感、自分が何も出来ない無力感に襲われては苦しみました。

人が賑わう場所に行って、浮かれ騒ぐ人達を見る度に、必ずこの恐ろしい感情が溢れ出てきて私の精神を蝕みました。

 

「ダンサー」になるのが夢だった私は、20歳の時にやっとの思いでダンス専門学校に入学することが出来ました。

当時、私がやりたかったダンスはマイケル・ジャクソンやMCハマーのようなストリート系のダンスでしたが、入学した専門学校はバレエ、モダンダンス、コンテンポラリーダンス、ジャズダンスなど、クラシック系のダンスレッスンだけでした。

自分がやりたかったジャンルのダンスではなかったけれど、在学中はダンスの舞台作品の制作や舞台芸術の製作、ダンスの歴史、解剖学、発声練習なども学びました。

 

2年間の学校生活を終えて卒業式を迎えました。

卒業式の後、同級生だけで卒業パーティーを開きました。

居酒屋で行われた卒業パーティーに行く前、私は「専門学校生活最後の日に、みんなとダンスの事でいろんな事を熱く語り合いたい。学校生活の思い出や卒業後の事、将来の夢など。みんなと熱く語り合えるだろう!」と楽しみにしていました。

しかし、いざ卒業パーティーが始まったとたん、みんなはドンチャン騒ぎをし始め、挙げ句の果てには「王様ゲーム」を始め出した時は、私は本当に情けなく虚しい気持ちになり、早く家に帰りたいと思いました。

私はこの時、初めて同期のメンバーが将来の事など何も考えず、大きな夢もなく「ただ、ここに来ればダンスが習える。」「ただ、ダンスをやってみたかっただけ。」程度の気持ちで入学してきた事を知りました。

 

卒業後、何人か同期の人と再会しましたが、ダンスを続けていたのは私を含め2人だけでした。

卒業後、私はすぐにストリート系のダンススタジオを探して、スタジオを二つかけ持ちながら通い続けました。

そのダンススタジオで、初めて同じ志の人達と出会う事ができました。

けれど、自分が思う通りには上手く行きませんでした。

 

よくよく考えてみたら、私はバブル期だけでなく、幼い頃から「幸せだな!」とか「楽しい!」と思った事は一度もありませんでした。

常に、満たされない気持ち。

常に、虚無感。

常に、自己嫌悪。

常に、無力感。

常に、孤独感。

朝から夜寝るまで、この恐ろしい感情と精神状態が当たり前でした。

 

私は、散歩中に出会う60代の女性と話をしながら、久しぶりにこの恐ろしい感情がわき上がり気分が悪くなりました。

「二度と、あの頃には戻りたくない!」

「どこが良い時代だったのか、まったく理解出来ない!」と思いました。

 

そして「神様に出会えた今が、一番幸せだ!」と心の底から感じました。

 

私は最近、つくづく感じます。

ラプトさんに出会うまで、神様に出会うまでは、お金もない、欲しい物も買えない、やりたい事も出来ない、人間関係も上手く行かない、夢も叶えられない、本当に不幸な人生だと思っていました。

しかし、2016年にラプトさんに出会えたこと、2017年に神様の愛を感じて「信仰」を持てたことが、私には人生最大の幸福であり最大の喜びだと思います。

この幸福感は、年を追うごとに膨らみ続けています。

 

『ラプトブログ』に出会い、ラプト理論を学んで神様の御言葉を受け入れられたこと。

http://rapt-neo.com/?page_id=1815

 

「ラプトさん」という素晴らしい方に幸運にも出会えたこと。

ラプトさんがいらっしゃるこの時代に一緒に生きられていること。

ラプトさんがいらっしゃる日本に生まれてきたこと。

https://rapt-plusalpha.com/

これら、すべてが本当に幸運の中の幸運だと思いました。

 

40年以上の苦しみや艱難苦難から解放してくださったラプトさんと神様には、感謝してもしきれないほどの感情が溢れかえります。

「この素晴らしい出会いのために今までの苦しい人生があったのであれば、今までの苦しい人生も無意味ではなかった。逆に、この素晴らしい出会いのために、今までの人生を送れてきて良かった!」と心から思えるようになりました。

 

神様は「すべてを益に変えてくださる」と、おっしゃってくださっています。

どんな苦しみも、どんな悲しみも、どんな問題も、どんなトラブルも、すべてを益に変えてくださり、そして愛を持って私を導いてくださいます。

 

私はラプトさんに出会うまで、神様に出会うまでは、どんな言動をしたら不幸にならないか。

どんな行動したら不運が来ないか。

どんな人生を送れば不幸にならなくて済むのか、ばかり考える人生でした。

しかし、今はそんな考えは一切浮かばなくなりました。

 

時には失敗もします。

間違いを犯す事もあります。

問題も出てきます。

トラブルもあります。

なかなか上手く行かない時もあります。

でも、そのすべてを神様は益にしてくださいます。

そして、学びを与えてくださり、悟りを与えてくださり、感動を与えてくださり、素晴らしい愛を与えてくださいます。

「本当にラプトさんに出会えて、神様に出会えて良かった!」と思います。

 

今、辛くて苦しくて、将来が不安で心配な方々がたくさんいらっしゃると思いますが、私の人生がそうだったように、自分が受けてきた苦しみや辛さ、思い悩みは、神様によって素晴らしい恵みと愛にして感動を与えてくださり、素晴らしいものへと変化させてくださいます。

 

一人でも多くの方がラプトさんに出会えますように。

神様に出会えますように。

神様の御言葉を信じて、幸福な人生を送ることが出来ますように。

心から祈ります。

『日本という国がいかに神様から守られ優遇されてきた国だったと、ラプトさんを通して知る事ができました』

私は2016年にラプトさんをYouTubeで知り、2017年から『ラプトブログ』を読んで信仰を持つようになりました。

 

『ラプトブログ』

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『RAPT × 読者対談7 神道ユダヤ教と悪魔教のつながり。悪魔教が日本に伝わった経緯』 
https://youtu.be/NhNckLBYLFk

 

私は幼い頃から海外に憧れを持っていました。

海外に憧れたきっかけは洋画や洋楽が好きだったこともありますが、一番の影響は両親の反日思想でした。

父親は日本共産党員で、私に反日思想を植え付けました。

父親の口癖は「天皇は悪人!」「自民党は悪人の集まり!」「日本は悪い国だ!」でした。

幼かった私は、あまり意味も分からずにただただ父親の話を信じていました。

母親は3人兄妹で、母親の兄(叔父)が共産思想でした。

母親は叔父の影響を受けていました。

両親は、私と3歳年上の兄を連れてよく「平和運動」や「平和集会」に参加していました。

集会で反戦映画や反戦歌を歌ったのを今でも覚えています。

その影響で私は幼い頃から「なぜ、世界中で戦争が起きるのか?」「どうして日本は原爆を落とされたのか?」「日本はどうしてこんな国になったんだろうか?」と常に疑問に思っていました。

両親の洗脳教育により、私はいつの間にか「日本は良い国ではない!」「外国の方が良い国だ!」「日本が嫌い!」「なぜ、日本人に生まれたんだろう!」と思うようになりました。

 

私は幼い頃から「ダンサー」になるのが夢でした。

いつか海外に行って、ダンス留学するのを夢見ていました。

そして、2001年の10月に私はスペインへ、フラメンコダンス留学をしました。

幼い頃から夢見ていた海外留学に期待と希望に胸を膨らませながら、約半年間の留学生活をスペインで過ごしました。

しかし、自分が思い描いていた留学生活は、理想と現実のギャップに恐ろしいほどのカルチャーショックを受けました。

 

まず、アジア人差別は日常茶飯事でした。

普通に道を歩いているだけなのに「チノ!チノ!(中国人)」と怒鳴られたり、ツバを吐かれたり、一番酷かったのが石や氷を投げられたりもしました。

 

道路は犬の糞だらけで、足の踏み場もない場所がたくさんありました。

道にゴミを捨てるのも当たり前でした。

窃盗、スリ、強盗も日常茶飯事でした。

留学中も私が借りていたマンションの前に宝石ショップがありましたが、夜中に強盗が入ってお店のガラスが割れる音が響き渡り、大騒ぎになっていました。

 

値段表示のない飲食店やショップは、普通に値段を釣り上げてぼったくります。

 

マンションを借りた時も、なぜか同じタイプの部屋なのに日本人にはバカ高い家賃を請求し、スペイン人には格安の値段で貸していました。

 

電車やバスは時間通りに来ないし、1時間ぐらい遅れることもありました。

 

百貨店やお店、駅や飲食店のほとんどが喫煙可能でした。

お祭りみたいなイベントに行った時、甘いアーモンド臭がしたので、臭いがする方を見たら短いタバコを吸っている人がいました。

一緒にいた日本人の友人が「あれ、マリファナだよ」と教えてくれました。

 

1度、晩御飯を食べにバルで食事をしていると警察官が二人で入店し、制服のままビールを飲んでいました。

 

ある日、お店で買い物をした時に100ユーロの大きいお札で支払おうとした時、店員が「お釣りがないから、どっかのお店に行って何か買って来て!お釣りのないから!」と逆ギレされました。

その時は、呆れて買い物を断念しました。

 

留学中に知り合った日本人女性の友人から聞いた話です。

彼女は大学卒業後、フラメンコ留学のためにスペインに来て、フラメンコ専門学校に通っていたそうです。

学校の寮生活中に、スペイン人からいじめを受けたそうです。

共同で使用していた洗濯機が故障した時「お前が壊した!」と因縁をつけられ、彼女は洗濯機を壊していないのに修理代を払わされたそうです。

 

私が留学したのが2001年10月~2002年3月末で、その後も2004年2月から2カ月間留学しました。

2001年からの留学中、町に1つしかない百貨店の前に広場がありました。

広場は留学中、ずっと工事中でした。

2004年に再び同じ広場に行くと、まだ工事中でした。

イタリアに新婚旅行に行った時、ガイドさんが工事現場を見て「工事が全然進まないのよね~」と嘆いておられました。

(海外あるあるなのかなと思いました)

 

スペインの旅行ガイドブックや旅行雑誌には、「スペインのアンダルシア地方の人達は、陽気で気さくで明るい人が多い」と、記載されていましたが、気さくで陽気で明るい人はほとんどいませんでした。

それどころか、アジア人に差別的で警戒心が強く、お店の人に何か尋ねても冷たくあしらわれたり、睨まれたり、無視されることがほとんどでした。

 

フラメンコの衣装を作ろうと衣装屋さんに行った時、衣装をオーダーメイドで注文しました。

シンプルなデザインのワンピースを注文し、後日、出来上がった衣装を試着した時に裁断や縫製は歪みまくり、左右非対称のガタガタの衣装を渡されてました。

 

留学中、スペインの有名ブランド「ZARA」でダウンジャケットを購入した時、1週間もしないうちにチャックが故障し、腕や胸の部分から打ち綿が次々と出てきました。

 

フラメンコシューズを購入した時も、オーダーメイドで注文し、後日届いたシューズを見たら注文した色と違う色だったり、右と左の留め金の位置がズレていたり、ベルトの左右の長さが違っていたりするのが当たり前でした。

 

留学から帰国後、私は日本という国がいかに「素晴らしい国だ」と認識しました。

幼い頃に両親から受けた反日教育が根底にあったので、私にとっては日本に対してアンチ思想だったのが取り除かれた分、更に日本の国の素晴らしさを認識できるようになりました。

 

2004年に再びスペインへフラメンコ留学した時、ニューヨーク在住の日本人女性と知り合いました。

彼女は、とても気さくで優しい方でした。

留学中、その彼女と仲良くなり、一緒にご飯を食べに行ったり、歌を聞きに行ったりフラメンコ公演を見に行きました。

ある日、彼女と一緒に食事に行った時のことです。

彼女は私に「国民性が分かる例え話クイズ」をしてくれました。

『例え話だけど、今にも沈没しそうな豪華客船があります。タイタニックみたいな感じね。船が沈没しそうなので、女性と子供は先に救命ボートで脱出しました。残ったのは男性ばかり。このまま、船に残ったままだと沈没時に起こるスクリューで海の中に飲み込まれて確実に死んでしまう。でも、今海に飛び込んだら助かるかもしれない。だけど、飛び降りる高さはビルの3~4階ほどの高さです。今、海に飛び込んで助かる確率はわからない。海に飛び込む勇気がなくて躊躇している男性が5人います。イギリス人、ドイツ人、アメリカ人、日本人、中国人の男性がいます。船員が各国の男性に、どんな言葉をかければ船から飛び降りると思う?』と、彼女から言われました。

(因みに、私はイギリス人と日本人と中国人を当てました!)

まず、イギリス人の男性。

イギリス人男性には「君はジェントルマンだろ!」と言ったら飛び込むそうです。

次にドイツ人の男性。

私はまったく分からなかったので、彼女が「ヒントは日本人と少し似ているかも」と教えてくれましたが、分かりませんでした。

ドイツ人男性には「ルール(規則)だから!」と言ったら飛び込むそうです。

次にアメリカ人の男性。

彼女はニューヨークに長い間在住している人だったので、アメリカ人男性の答えを聞いた時は「まさしく、アメリカ人の考え方!」とおっしゃってました。

アメリカ人男性には「君はヒーローになれるよ!」と言ったら飛び込むそうです。

彼女が言うには、9.11同時多発テロの時に、たくさんの消防士が亡くなった時、メディアはこぞって「ヒーローだ!ヒーローだ!」と言っていたそうです。

次に日本人の男性です。(私はすぐに分かりました)

日本人男性は「みんなも飛び込むから、君も飛び込みなさい」でした。

そして、最後は中国人です。(これも私は当てました)

中国人男性は「女性と子供に混じって、先に救命ボートで逃げた!」でした。

彼女から、この話を聞いた時「世界各国の思想や考え方はまったく違うんだな・・」と思いました。

 

2004年に留学していた時のことです。

スーパーで買い物をした時、一緒に留学していた弟が「果物が食べたい!」と言ったので、桃を買って帰りました。

マンションへ帰り、弟が桃を食べているのを見ていました。

弟が桃を丸かじりした時「シャリッ!!」とリンゴをかじった咀嚼音がして、私は驚きました。

その瞬間、弟が「かったい!!酸っぱ!!」と言って、食べるのを断念しました。

次の日、弟はスーパーで「イチゴが食べたい!」と言ったので、真っ赤なイチゴを買って帰りました。

日本のイチゴより大きくて、色も濃い濃い赤色でした。

弟がイチゴを食べた瞬間「シャリッ!!」と、またリンゴをかじった咀嚼音がして「かったい!!酸っぱ!!」と、言って食べるのを断念しました。

私はその時、日本の農業技術のレベルの高さに改めて驚かされました。

日本では、農家の方が何年もかけて品種改良してくださった物を、スーパーで普通に購入して美味しくいただける事が本当に素晴らしいと感じました。

 

数年後、今度は弟が一人でスペインへ留学した時のことです。

弟は、スペインでも日本でも有名な男性のフラメンコダンサーに個人レッスンを受けに行きました。

個人レッスン終了後、レッスン料を支払い、翌日もレッスン後に昨日と同じレッスン料を支払おうとすると、昨日のレッスン料より値段が高くなっていたそうです。

翌日も、その翌日も、個人レッスン料は高い値段を請求され、弟は精神的なダメージを受けていました。

 

フラメンコ留学仲間では、こういったエピソードはあるあるで、特にジプシー系の人種がレッスン料を法外な値段で請求するそうです。

しかし、その法外な値段を知らずに支払い続けるお金持ちの日本人がいるそうで、スペイン人からすると「日本人=金持ち」と誤解を招いているのかもと思いました。

 

海外留学後、私は改めて日本という国、そして日本人の国民性の優れた知性と根気強い精神、新しいものを作り出す柔軟性や能力、真面目で勤勉な性格に感動と感謝と誇りを抱くようになりました。

 

その後、イタリアへ新婚旅行に行った時もスペインとほぼ変わりない状況でした。

観光地はぼったくりが横行、スリも多く、物乞いをする人を何人も見かけました。

他にも、香港、台湾へ旅行にも行きました。

 

一番酷かったのが、中国でした。

中国、上海と蘇州に旅行に行った時のことです。

関西空港から飛行機に乗り、機内で上海空港到着のアナウンスが聞こえたので、私は何気なく窓の外を見ていました。

窓から地上を見下ろすと明るいベージュ色の砂漠が広がっていました。

私は、その砂漠を見て「そういえば、中国は環境破壊が酷くて砂漠化しているってニュースで言ってたな」と思っていました。

そして、しばらくその砂漠を見ていたら、砂漠の上を船が通過していきました。

私が見ていたのは、砂漠ではなく上海の海だったんです。

本当に驚きました。

 

空港に着いて税関を通る時、中国人専用レーンと外国人用専用レーンがあり、私は外国人専用レーンに並びました。

私は旅行では香港や台湾、イタリア、留学でスペインに行きましたが、飛行機の乗り継ぎでオランダ、フランス、ドイツ、トルコの空港を利用したことがあります。

どの国もパスポートを見せたら、10秒もしないうちにパスポートを返してくれて顎や手で「通れ!」と支持してくれます。

しかし、中国の上海空港の税関は、中国人専用レーンはドンドン列が進ん行くのに、外国人専用レーンはなかなか前に進みませんでした。

税関近くまでたどり着くのに、約2時間ほどかかりました。

5~6人先の人が税関に入って行くのが見えたので「なぜ、こんなに時間がかかるのか?」と、前の人達の様子を覗き込んで見ていました。

私が知っている空港の税関の人は、だいたい1~4人ぐらいで、それぞれ離れた場所で待機しています。

しかし、上海空港の税関は1レーンに約5~7人の人が警棒を片手に「鞄の中を開けろ!」と指示をし、荷物一つ一つに質問をしていました。

私は主人と一緒に旅行に来ていました。

主人は警察官で、中国人犯罪者の取り調べ通訳者として訓練を受けていたため、中国語が堪能だったので問題なく税関を通ることができました。

結局、上海空港に着いてから上海に入るまで2時間以上かかりました。

夜に到着して、上海の街を歩いていた時に驚いたのが道路の汚さです。

スペインやイタリアでは犬の糞だらけでしたが、その汚さのレベルをはるかに越えた汚さに驚きました。

道路は真っ黒で、大気汚染の汚れが道路に蔓延していました。

旅行初日は、たまたま雨が降っていました。

道路を歩いただけで、靴とズボンの裾が真っ黒になってしまいました。

 

上海でコンビニに買い物に行った時、ペットボトルの水を2本購入しました。

1本目は普通に美味しい水でしたが、2本目を飲もうとした時、ペットボトルを開ける時になる蓋の音「パキッパキッ!」という音が鳴りませんでした。

私は不信に思いながら、恐る恐る水を飲んでみると水から生臭い匂いがしました。

私は気持ち悪くなって、その水を捨てました。

おそらく、コンビニの店員が商品の水を飲み、代わりに水道水をペットボトルに入れて陳列したと思いました。

呆れながら心の中で「さすが中国!そりゃ、世界から嫌われるよ!」と思いました。

中国人の民度の低さは、私の予想をはるかに超えていました。

列に列ばない。

大声で喧嘩。

お店の店員の態度の悪さ、ぼったくりなど。

ただ、スペインとあまり変わらないとも思いました。

 

主人は学生時代に北京に行ったそうで、その時に駅で切符を購入しようとした時、券売機の前に扇形に人が並び、自分の番が来て切符を買おうとしたら、左右から複数の手が出てきて、横入りされそうになったそうです。

 

上海から蘇州に行く時、新幹線のような鉄道を利用しました。

主人が指定席を取ってくれたので、車内に入って席に座ろうとしたら、私達が座るはずだった指定席に座っている人がいました。

主人が「どいて!」と言ったので、座っていた人は席を譲りました。

車内の通路に座り込んで大声で話したり、車内の通路に座り込んでお弁当を食べる人もいました。

 

上海の町を歩いていた時、横断歩道の前に白い紐を持った人を何度か見かけました。

その白い紐を持った人は、赤信号で待っている人を静止するためのものらしく、赤信号なのに信号無視する歩行者、車道まで進んで待つ人を紐で引っ張って静止していました。

 

中国旅行最後の日、上海のレストランで食事をしました。

そのレストランでは、中国の古典音楽の生演奏を聞きながら食事が出来るところでした。

楽器演奏が終わった後、演奏者が舞台から居なくなりましたが、一人だけ舞台上に楽器を持ったまま残っていました。

私は残った人が一人だけで演奏するのかと興味深く見ていました。

すると、ポケットから携帯電話を取り出し、舞台上で携帯電話をイジり始めました。

当時、私は20年以上ダンスや踊りをしてきたので、舞台上で携帯電話をイジりながら休憩する人を見て本当に驚きました。

上海と蘇州の旅行中、私は「こんな国は絶対に住みたくない!」と思っていました。

日本に帰ってきた時、本当に心の底から安堵感を感じました。

 

私は過去にスペイン、イタリア、台湾、香港、中国(上海、蘇州)、そして、航空会社の飛行機の乗り継ぎミスにより、オランダで1泊したこともありました。

飛行機の乗り継ぎで、フランスのオルリー空港からシャロルド空港までバス移動したり、トルコ航空も利用したこともありました。

たくさんの国へ行ったわけではありませんが、海外へ行って帰ってくる度に「日本は素晴らしい国だ!」と思っていました。

鉄道やバス、道路や歩道の美しさと清潔感。

食事のクオリティーも高く種類もたくさんあります。

世界各国の料理を普段から食べられたり、値段もぼったくるお店もあまりありません。

海外へ行って一番嫌だったのが、公共施設にあるトイレでした。

スペインの駅のトイレは、トイレットペーパーが流せないので便や尿の付いたトイレットペーパーが便宜の周りに散乱して、ものすごい悪臭がしていました。

イタリアに行った時、高速道路のサービスエリアでトイレを利用する時は有料でした。

確か、2ユーロ支払ったと思います。

 

日本という国が、人間が生活する上でどれだけ豊かで恵まれているのか。

食事の質、公共施設、インフラの質、水道水の質、お店のサービス、入浴の習慣、物の良質、電化製品のレベル、人々のマナー、礼儀作法など。

本当に日本の良さをあげればきりが無いほど、たくさんあります。

私は留学後、「どうして日本という国はこんなにも恵まれた特殊な国なのかを知りたい!」と思い、周りにある神社仏閣が気になるようになった私は神社仏閣を調べ、足を運ぶようになりました。

そして、神社仏閣や日本の事を知らべ続け始めてから3年ほどたった時に、ラプトさんに出会いました。

YouTubeでラプトさんの読者対談を聞いてから、私の人生は大きく変化しました。

 

神様が聖書の最後を締めくくる使命者であるラプトさんをこの日本に送られ、神様が使命者がいらっしゃる日本を特別に優遇してくださったと御言葉で聞いた時、私は幼い頃から両親から受けた反日教育や留学経験、海外旅行での違和感や日本という国を改めて何度も見直した経験がすべて繋がりました。

 

この日本の素晴らしさこそ、神様の愛によって守られた国であり、人間がより高い能力を高めて行ける神様の愛の国の基盤になっているのだと私は思いました。

ラプトさんという聖書の最後を締めくくる使命者と同じ時代に生まれて来られたこと。

ラプトさんと同じ国に生まれて来られたこと。

そしてラプトさんに出会い、神様の御言葉に出会えたこと。

ラプトさんが宣布してくださる神様の御言葉をリアルタイムで聞き続けられていることが、本当に大きな大きな恵みと祝福と奇跡だと思いました。

 

一人でも多くの日本人、そして世界中の人々がラプトさんに出会い、神様に出会って御言葉を受け入れて救われますように、お祈り致します。

『ラプトブログに出会ってから、不安や心配がなくなり希望と自信を持って生きて行けるようになりました。』

私は2016年に『ラプトブログ』に出会いました。

『ラプトブログ』

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私が最初にラプトさんを知ったのが、YouTubeの対談動画でした。

『RAPT × 読者対談7 神道ユダヤ教と悪魔教のつながり。悪魔教が日本に伝わった経緯』

https://youtu.be/NhNckLBYLFk

 

 

私は幼い頃から「超能力」や「霊能力」を信じていました。

「占い」「おまじない」「スピリチュアル」に興味を持ち始めたのは、小学5年生ぐらいの時でした。

社会人になってから「霊感が強い人」や「霊が見える人」と知り合いになった事もあり、自分もそんな特別な能力を身につけたいと真剣に思ったこともありました。

タロット占い、四柱推命、電話占い(霊能力者??と話す)、前世占い、手相占い、姓名判断、夢占いなどにも興味を持ち、一時期は真剣に占い師になろうかと思ったこともありました。

幼い頃から「人間の力だけではない、何か不思議で神秘的な力が、どこからか働いているのではないだろうか?」と、ずっと考えていました。

 

自然災害や人的災害、大事故や戦争の時に、なぜか奇跡的に助かる人もいれば、不運にも命を落とされる方もいる。

大事故に巻き込まれたけど幸運にも助かった人や、戦争や紛争に巻き込まれたけれど幸運にも生き延びれた人を見て、私はいつも「なぜ、この人だけが助かったのか?何か意味があるのかな?」と、ずっと思っていました。

 

マスコミやメディアに出てくる芸能人や著名人、世界各国の王族や貴族、大富豪や大物政治家や有名人のように、生まれた環境も経済的にも恵まれた人達もいれば、生まれた時から国や環境や経済にも恵まれない人達もいる。

平和で安全な生活が送れる国や地域もあれば、戦争や紛争に巻き込まれて不幸になる人達もいる。

何不自由なく環境にも家族にも恵まれて、幸せに生きられる人もいれば、生まれた時から家族や環境、周りの人間関係に恵まれずに不幸になってしまう人もいる。

私は小学生の頃から「どうしてこのような格差が生まれるのか?」「なぜ、国や地域によって、こんなにも格差があるのか?」「どうして同じ人間なのに、すべての人が幸せに生きることができないのだろうか?」と、ずっと疑問に思っていました。

そして、私自身も恵まれていない人間の分類に入っているのだろうと思っていました。

恵まれていない自分は、いつ、どこで災難や不運な事故に遭うかもしれないと、思い込んでいました。

その思い込みは激しくなっていき、不安や心配が常に頭の中につきまとうようになっていきました。

不安心配は、いつの間にか脅迫観念に変わり、その脅迫観念を取り除くために「占い」や「スピリチュアル」にのめり込んで行きました。

 

常日頃から、道を歩いている時は「何か上から落ちてくるかもしれない・・・」と思ったり、飛行機に乗ったら「もしかしたら、墜ちるかもしれない・・・」、電車に乗っても車に乗っても「もしかしたら、事故に遭うかもしれない・・・」と思うようになりました。

そんな不安や心配を取り除くために、神社のお守りやパワーストーンをたくさん購入しては鞄に入れて持ち歩いたり、身につけていました。

家の中にいても「今、地震が来たらどうしようか・・・」とか、「いきなり難病になったらどうしよう・・・」など、常に不安と心配と恐怖を感じて生きていました。

 

子供を出産した後は、その恐怖心と強迫観念は子供達に向いて行きました。

子供がちょっと外に出かけたり、自分が見ていない場所に移動しただけでも「子供が事故に遭うかもしれない!」「子供が大怪我をするかもしれない!」「子供が病気になったら、どうしよう?」など、思い込みは酷くなっていきました。

常日頃から、自分と子供達が災害や事故、病気や怪我をしてしまったらと、勝手に思い込んでは恐怖に怯えていました。

そして、その脅迫観念がピークになったのが「東日本大震災」でした。

2010年に次女を出産した翌年の2011年に東日本大震災が起こりました。

ニュースで地震津波原発事故と放射能汚染の報道を見た時「あぁ、もう日本は終わった・・・」と思いました。

出産直後に起きた災害によって、子供達をどうやって育てていこうか本当に悩みました。

風評被害を信じていた私は、スーパーに買い物に行っても「何も食べられる物がない・・・」と嘆いていました。

そして、この頃から不安や心配を本格的に取り除こうと思い、頻繁に神社仏閣に足を運んでは御札や御守りを買っては家中にペタペタと貼っていました。

京都在住の私は上賀茂神社金閣寺清水寺平安神宮比叡山延暦寺、御室八十八霊堂、八坂神社、伏見稲荷大社大徳寺、今宮神社など、小さい神社仏閣を合わせれば、もっとたくさんの神社仏閣に足を運びました。

他にも、伊勢神宮奈良の大仏殿、広島の宮島や出雲大社にも行きました。

「神様は必ず居るんだ!」と思って神社仏閣を巡り歩きましたが、人生が良くなるどころか不幸が次々と起こりました。

 

最初は小さな不安や心配が、いつの間にか恐怖や脅迫観念や虚無感に変質し続けました。

病気やケガが続き、人間関係のトラブルや夫の不貞行為未遂、仕事では3回減給され、実の母親からの陰湿なイジメや妨害も10年以上続きました。

そして、2014年に母親から「気に入らないから」と言う理由で仕事をクビにされました。

仕事も人脈も生き甲斐も失い、家族とも疎遠になり夫婦関係も最悪だった時に『ラプトブログ』に出会いました。

http://rapt-neo.com/?page_id=1815

 

『ラプトブログ』には、私が幼い頃から疑問に思っていた事や解らない事、知りたかった真実すべてが『ラプトブログ』に書かれてありました。

「なぜ、戦争が起こるのか?」

「なぜ、紛争や争いが起こるのか?」

「なぜ、差別が起こるのか?」

「なぜ、貧困が起きるか?」

「なぜ、犯罪が起こるのか?」

「なぜ、災害が起こるのか?」

「なぜ、病気があるのか?」

「どうして、不幸になるのか?」

「どうして、幸せにいきられないのか?」

「神様は、存在しているのか?」

「霊は存在しているのか?」

私が幼い頃から疑問や謎に思っていた答えがすべて『ラプトブログ』に書かれてありました。

《〈閲覧注意〉日本の密教もまた悪魔崇拝そのものです。》
https://rapt-neo.com/?p=24188

 

《悪魔を拝んで人生を破壊する生き方から、神様を拝んで人生を幸福にする生き方へ。》
https://rapt-neo.com/?p=26065

 

空海最澄日蓮聖人も出口王仁三郎深見東州池田大作も同じ悪魔「サナト・クマーラ」を崇める妙見信仰者でした。》
https://rapt-neo.com/?p=26383

 

《日本と古代エジプト悪魔崇拝のつながりが一発で分かる幾つもの物的証拠。》
https://rapt-neo.com/?p=27712

 

《RAPT×読者対談〈第16弾〉真言宗ロスチャイルド高野山イルミナティの聖地である。》
https://rapt-neo.com/?p=29568

 

《日本の古墳も生け贄儀式を行うためのドルイド教の祭儀場でした。》
https://rapt-neo.com/?p=33249

 

《RAPT×読者対談〈第85弾〉江原啓之美輪明宏から始まったスピリチャルブームもすべてはルシファー信仰。》
https://rapt-neo.com/?p=37128

 

《RAPT×読者対談〈第101弾〉日本は昔も今も悪魔教の国。》
https://rapt-neo.com/?p=38862

 

《神社仏閣に潜む悪魔たち。またはアガルタから悪魔のメッセージを伝える人たち。》
https://rapt-neo.com/?p=24282

 

《RAPTブログ読者の証言〈VOL.22〉様々な強迫観念を仏教やスピリチャル系で癒そうとするも癒やされず、RAPTブログとの出会いで癒された30代女性。》
https://rapt-neo.com/?p=44664

 

《RAPTブログ読者の証言〈VOL.19〉欝や病気をスピリチャル系や神社仏閣参りで治そうとするも治らず、結局、RAPTブログで治った30代男性。》
https://rapt-neo.com/?p=44451

 

《RAPTブログ読者の証言〈VOL.1〉 スピリチャル系にハマって人生が破滅しそうになった30歳女性。》
https://rapt-neo.com/?p=42727

 

《RAPT×読者対談〈第84弾〉自己啓発もスピリチャル系も悪魔崇拝。》
https://rapt-neo.com/?p=37092

 

《RAPT × 読者対談2 〜 秦氏と神社とロスチャイルド。》
https://youtube.com/watchv=45oJyaOiuro&feature=share

 

『ラプトブログ』のお陰で、この世の中の真実を知る事が出来た私は、ラプトさんが教えてくださった聖書の神様を信じて信仰生活をスタートさせました。

信仰生活を始めた途端、今まで抱えていた不安や心配、恐怖心や脅迫観念は綺麗さっぱりなくなり、喜びや楽しさ、恵みや奇跡を何度も何度も体験することが出来ました。

たまに、不安や心配が心の中で生じた時は、神様に祈り求めます。

そして、「神様が必ず、守ってくださる!」「大丈夫、神様が見守ってくださっている!」と神様に祈り求めたら不安や心配は消えて無くなります。

 

『ラプトブログ』に出会い、神様に出会ってからは仕事も復帰し、大好きなダンスも再開しました。

コロナ禍によって、無駄なPTA活動や町内会などの行事や関わり合いもなくなりました。

長女は、やりたいことが絵画だと解り、毎日絵を描いています。

行きたい高校も、すぐに見つかりました。

次女は最近、料理に取り組んでいます。

 

私も仕事の収入も少しずつ増えています。

幼い頃から憧れていた大型犬を飼う事もでき、今年は更にファッションに興味を持ち始めて、ファッションを独学で学びながら楽しんでいます。

今まで人生を生きてきた中で、こんなにも毎日が楽しく充実した日々があっただろうかと思えるぐらいに充実しています。

やりたい事やチャレンジしたい事も増えました。

『ラプトブログ』に出会う前は、悩む事が当たり前、満たされない事が当たり前、思い通りに行かないのが当たり前、落ち込む事が当たり前、不安や心配する事が当たり前、自分が不幸になって行く事は当たり前のように想像出来るけど、幸せになれる事はないだろうと思っていました。

しかし、『ラプトブログ』に出会い、本当に人生が良くなって行く日々を実感しております。

どうか、一人でも多くの方々がラプトさんに出会い、『ラプトブログ』を読んで、神様の愛を受けられますように心から願っております。