AKIのブログ

ラプトブログに出会い、人生が変わりました。

『ラプトブログに出会ってから、他人を羨むことがなくなりました』

先日、約30年ぶりに母校に行きました。

 

私には2人の娘がいます。

今年、長女は中学3年生、次女は中学1年生になりました。

長女は高校へ進学希望を考えていたので、本人が行きたい高校を探すことにしました。

絵を描く事が好きな長女のために、美術系の高校を探しました。

何校かあるうちの一つに、私が30年前に通っていた母校がありました。

ホームページやInstagramで見た限り、私が通っていた時とは大きく様変わりしていました。

早速、学校説明会の参加申し込みをしました。

 

 

私は小学校の頃から勉強がまったく出来ませんでした。

中学生になっても勉強は一切出来ず、部活の水泳をするために学校に通っていました。

中学3年生になって進路を迫られた時、私が出した結論は「高校には行かないで働く」でした。

しかし、両親から猛反対され「高校だけは行ってくれ!高校に行かないと、まともな人生を歩めなくなる!」と言われました。

そこで、両親と担任の先生が私の学力レベルでも行ける高校を探してくれました。

探してくれた結果、行ける高校は3校。

一つは、男女共学の普通科でした。

その高校には、中学の時に部活で実績を上げた「水泳」の推薦枠で受験きると担任から言われました。

しかし、私自身が「もう水泳はやりたくない」という理由で受験をしませんでした。

後二つは、女子高でした。

一つは隣県にある高校で、運動部の部活動が盛んな高校と、もう一つは市内にある商業高校でした。

部活動がやりたいと思った私は、隣県の高校を第一希望に受験しました。

結果は、不合格。

残り一つしか行けない商業高校に合格するために、家庭教師を2人も付けてもらい必死で勉強しました。

結果は、合格でした。

 

喜んでいたのも束の間、入学が決まった高校は市内でも有名な厳格な高校でした。

身だしなみは、制服、制靴、制靴下、制鞄、補助鞄、制リボンなど、身に着けるものは、すべて指定の物を購入しなければなりませんでした。

髪型も前髪が眉毛にかかることは許されませんでした。

セミロングやロングヘアの場合、必ず二つに分けてくくるか、長い髪は三つ編みにする規則でした。

刈り上げは禁止、髪型が短すぎるのもダメでした。

パーマや毛染めはもってのほかで、生まれつき髪の色素が薄い人は、幼少期の写真を学校に提出して証明しなくてはいけませんでした。

学校から出された規定の物を身に着けなかった場合、即職員室に呼び出されて先生からの説教と反省文を書かされ、廊下に立たされました。

毎朝、8:15から朝会(ちょうかい)があり、全校生徒が会館に集合し、毎日校歌や国歌を歌わされました。

その後、校長先生の話を聞いてから、今後の行事やテストなどの予定の告知や注意事項を聞き、その後、校長先生が好きなクラシック音楽をひたすら聞かされて感想文を提出する毎日でした。

徒手帳には、これでもかと思うような校則が書かれてあり、入学後は校則を全て暗記するために、校則のテストもありました。

 

私が入学したコースは商業科の「被服科」だったので、毎日大量の洋裁の課題があり、徹夜した事も何度もありました。

学校では、先生への口答えどころか、個人の意見を言うことも許されず、何かすれば即停学か退学でした。

友達同士、あだ名で呼び合うのも禁止。

毎日の掃除は、毎回先生からのチェックが入りました。

遅刻をした場合は、朝会の間中ずっと会館の前端、司会者の横に立たされました。

落とし物をした場合、朝会で全校生徒の前に呼び出されてマイクを通して「すいませんでした」と謝罪しなくてはいけませんでした。

持ち物検査は抜き打ちで行われたり、教科書を忘れたら廊下に立たされて、廊下の窓から顔を出して授業を受けなければなりませんでした。(まだまだ、厳格な校則がたくさんありましたが書き切れないので、ここら辺で止めておきます)

娘と一緒に母校に入った瞬間、当時の苦しくて辛かった思い出が次々と蘇りました。

 

私が通っていた頃の校舎や体育館、グランドは跡形もなく消えていました。

学校内は、吹き抜けの校舎に人工芝のグラウンド、ガラス張りの廊下や階段。

最新の建築デザインを導入した、まるでおしゃれな美術館のような校舎になっていました。

唯一、残っていたのが初代校長先生の銅像と、朝会が行われていた会館の外観だけでした。(会館は体育館になっていました)

私が通っていた頃は、学校の門をくぐったら初代校長先生の銅像があり、毎朝、校長先生の銅像にお辞儀をしなくてはいけませんでした。

その銅像の横には、必ず身だしなみをチェックする先生が立っていて、スカートの丈や服装、髪型などをチェックされたのを思い出しました。

 

 

学校説明会が始まり、学校の方針や各コースの説明がありました。

厳格で勉強と課題だらけの刑務所のようだった学校は、今や単位制になり、授業内容も自分で選択できるシステムでした。

ゲーム製作にバンド、ダンスに動画撮影や陶芸、スポーツに美術などの施設や環境も整えてあり、放課後や土日でも使用出来るようでした。

他にも、他校からの編入学も受け入れていて、入学後に校風が合わない生徒が自由を求めて今の母校に編入学して来るそうです。

 

学校説明会が終わった後、私は「あの厳しい環境や時代は何だったんだろう?」と、どこか損をしたような、今の時代に生きている子供が羨ましいと思いました。

 

 

私が生まれた時代は団塊ジュニア世代でした。

学歴信仰社会で、勉強出来ない人間は人間扱いされない苦しい時代でした。

勉強が出来る人、お金持ちの人、生まれ持った環境に恵まれている人、人脈がある人は「勝ち組」と呼ばれていました。

そんな人達を横目で見ながら、羨ましくも妬みながら、悔しさをバネに「いつか、必ず成功してやる!」と、何百回も心に言い聞かせていました。

虐げられ、罵られ、排他され、馬鹿にされるのは当たり前でした。

私の場合、家族からの迫害や排他も酷く、両親からはゴミのような扱いを受けました。

「お前は、頭が悪い!」

「お前は、容姿が醜い!」

「お前は、寄生虫だ!」

母親から言われた「お前なんか、産まなければ良かった!」は、今でも忘れられない言葉です。

「いつか、いつか必ず、成功してやる!・・・必ず!」と思い続けました。

しかし、どんなに頑張っても虐げられ、馬鹿にされ続けました。

現実は厳しく、自分がやりたい事あってもお金も人脈もありませんでした。

自力で頑張っても、なかなか上手く行かず思い通りに行くことは、ほとんどありませんでした。

それでも、諦めきれずに頑張っていたものの、2014年に仕事をクビになった時は「もう、駄目だ・・・」と心底思いました。

そんな時、ラプトさんに出会うことが出来ました。

【ラプトブログ】

http://rapt-neo.com/?page_id=1815

 

*このYouTubeが、初めてラプトさんに出会えたきっかけでした。

【RAPT × 読者対談7 神道ユダヤ教と悪魔教のつながり。悪魔教が日本に伝わった経緯】 

https://youtu.be/NhNckLBYLFk

 

【ラプト理論+α】

https://rapt-plusalpha.com/

 

そして、2017年から信仰を持ち始めました。

信仰生活を始めた時は、大変な事はありましたが、その大変さに勝る神様からの祝福や恵みや奇跡を何度も経験しました。

何より、ラプトさんに出会う前の私の人生は人間扱いされた事が少なかったので、信仰持つ前のような生活には2度と戻りたいと思いません。

 

ラプトさんに出会う前「自分はどうして、こんなにも不幸なんだろう?」

「どうして、こんなにも恵まれていないのだろうか?」

「どうして、この世の中は、こんなにも生まれ持った格差や運命があるのだろうか?」と何度も思いました。

 

メディアやマスコミの情報を信じて、恋愛をすれば幸せになれる、結婚すれば幸せになれると思った時期もありました。

しかし、恋愛しても楽しい期間は数ヶ月間だけで、後は何も良い事などありませんでした。

それでも、結婚すれば幸せになれると必死で婚活して結婚したものの、夫の不貞行為や子育てと仕事の両立で毎日を生きるのが必死の状態でした。

新居を建てて、町内会の集まりに行った時、周りの円満夫婦を見ては、「羨ましいな・・・」と嘆くばかりでした。

私はどうしてこんなにも不幸なのか?

私は幸せにはなれない運命なのかと嘆いてばかりいました。

 

けれど、ラプトさんに出会い、神様に出会った今、「どうして自分は不幸だったのか?」「どうして何をやっても上手く行かなかったのか?」がきちんと理解できました。

そして、ラプトさんがおっしゃってくださった通りに、神様が教えてくださった通りに行えば、自分の思い通りに上手く行くどころか、自分が想像すらしていなかった奇跡や恵みを受けることが何度もありました。

私は、つくづく「今までの苦しみや辛さはこの素晴らしい出会いのためにあったのか!」と思います。

「神様に出会えたこと、御言葉を悟れたことが人生最大の幸せなんだ!」と実感するばかりです。

 

ラプトさんに出会うまで、他人を見ては羨んだり、妬んでいたのが当たり前だった自分が、今では他人を羨ましいと思ったり、妬まなくなりました。

今では、他人を見ると「この人が救われますように!」「この人が早く神様に出会えますように!」と祈るばかりです。

 

一人でも多くの方がラプトさんに出会い、神様の御言葉を受け入れて、たくさんの方が救われますように祈っております。

 

『ラプトブログに出会って、50歳目前で新しい個性と才能に気付ける事が出来ました!』

私は幼い頃から「ダンス」が大好きで、将来の夢はダンサーになることでした。

いつかダンサーになりたいと思い、努力はしたものの環境や人間関係、経済的な理由で、なかなか自分の思い通りに行かず、一時は踊ることさえも諦めていました。

そんな時『ラプトブログ』に出会いました。

『ラプトブログ』

http://rapt-neo.com/?page_id=1815

 

『ラプトブログ』で、神様が「個性と才能を伸ばしなさい!」とおっしゃってくださいました。

『有料記事139(2017年1月21日)自分の中に眠っている個性と才能を開花させてこそ、真の救いが完成する。』

https://rapt-neo.com/?p=41852

 

『有料記事296(2018年7月23日)世の中で個性と才能を磨いても成功することは難しいが、神様の世界では個性と才能を磨いた者が主から大きく使われて成功する。』

https://rapt-neo.com/?p=48274

 

『有料記事60 (2016年4月18日)個性と才能をさらに強烈に光り輝かせる方法。』

http://rapt-neo.com/?p=37575

 

『有料記事59 (2016年4月16日)この世の誰もが「個性」の王様だ。』

http://rapt-neo.com/?p=37560

 

『RAPT×読者対談〈第123弾〉個性豊かな才能あふれる人々を生み出す社会へ。』

http://rapt-neo.com/?p=41533

 

私は、お祈りの中で神様に「自分の個性と才能は何でしょうか?教えてください!」と祈り求めました。

お祈りを重ねていく度に「もう一度、踊りたい!」と思う願望が芽生えていきました。

そして、2018年の秋頃に40代半ばでストリートダンスを20年ぶりに再開しました。

更に、2021年の秋頃に、6年ぶりにフラメンコダンスの先生の仕事に復帰しました。

今考えると、ダンスもフラメンコも再び踊る事が出来るなんて奇跡としか思えませんでした。

なぜなら、2014年の11月末に、私はフラメンコを教える仕事をクビになりました。

仕事を辞めた時「もう二度、踊りなんか踊るもんか!!」と思っていたからです。

そんな自分が再び舞台で踊ったり、人前で踊る事が出来るなんて考えもしませんでした。

 

『ラプトブログ』に出会い、神様を信じて御言葉を受け入れる事が、これほどの恵みと感謝に溢れる事が出来るとは、本当に思ってもみませんでした。

 

私は今年で、49歳になります。

私は2023年の今年に入るまで、ダンスやフラメンコが自分のやるべき事だと思っていました。

「私の個性と才能はダンスしかない!」と勝手に思い込み、「体が動く限り踊り続けよう!」と思っていました。

そんな時、左膝と左肩を怪我しました。

病院に行って診察してもらった結果、左膝は変形性関節症、左肩は五十肩と診察されました。

ショックでした。

早速、「ケガが治りますように!」と神様に祈り求めました。

セルフメンテナンスも行い、良いサポーターや良い病院に恵まれ、徐々に回復してきました。

しかし、「ダンスをする事が自分にとって本当に必要なのか?」「神様が与えてくださった事は、ダンスだけなのかな?」と思うようになりました。

 

2023年の今年から神様は「新しいことを始めなさい!」と朝会でおっしゃってくださいました。

「ダンスやフラメンコ以外にも個性や才能があるかもしれない。ダンスやフラメンコに対する執着や経験、思想は捨てよう!」と思いました。

もう一度、初心に返り「私は何をするために生まれてきたのでしょうか?」「私は神様のために何をすべきでしょうか?」と、祈り求めました。

 

そして、ここ最近になってから徐々に「ファッション」に興味を持ち始め、ファッションが楽しくて面白くて、真剣に学びたいと思うようになりました。

 

「ファッション」や「洋服」は、若い頃から好きではありましたが、自分で自覚するほど興味があった訳ではありませんでした。

欲しいアイテムを一時的に探すだけだったり、一時的に鞄に執着したり、一時的に靴に執着したり、一時的にアーミー服に執着したり、一時的にパンクファッションに執着しては購入して着て終わっていました。

一時的に興味を持って購入した服は、次第に着なくなって捨てる、その繰り返しでした。

 

ファッションコーディネートをする時も、自分に似合う服が解らずに考えすぎたり、色柄やデザインの事を考えすぎて、最終的に訳が分からなくなって疲れ果てる事が何度もありました。

結局、ファッションに興味を持っても、どうやってコーディネートをすれば良いのか分からない・・・。

ファッションの勉強はどうすれば良いのか分からない・・・。

自分に似合う物は何なのかが分からない・・・。

考えすぎて、悩みすぎて、迷いすぎて、結局疲れては諦めて「自分はファッションのセンスがない・・・」と、勝手に思い込んでいました。

 

しかし、今年に入ってから神様にお祈りする中で、過去の自分がファッションや洋服を気にしていたり、他人のファッションが気になっていたりと、洋服やファッションに興味を持ち続けていた自分を思い出しました。

 

小学校頃、担任の先生が毎日同じような服を着てるのを見て「ま~た、この服かよ!」と心の中で突っ込んでいた事を思い出しました。

学生の頃、パンクファッションにハマり、よくウィンドウショッピングに行っていた事を思い出しました。

芸能人や漫画のファッションを真似していた時期もありました。

社会人になってからはお金がなかったので「出勤時の服を、どう着回しするか?」を考えて、同僚に「着回しが上手だね!」と誉められていた事も思い出しました。

フラメンコの仕事をしていた時も、フラメンコ衣装のお店のスタッフに、舞台で映える衣装やフラメンコ衣装の選び方などを学ばしてもらい「衣装やドレスの奥深さ」を知り、面白くて楽しいと思うようになったのも思い出しました。

 

ラプトブログに出会い、自分の個性と才能はダンスしかないと思っていましたが、それだけではないと神様がラプトさんが御言葉で教えてくださいました。

人には2~3個、個性と才能があるとおっしゃってくださいました。

 

ファッションが気になり始めたのは、昨年から徐々に始まりました。

だいぶ前に、何気なく「自分に似合う洋服のデザインは、何だろう?」と、思って骨格診断をした事がありました。

診断結果はストレートタイプでした。

ストレートタイプに似合う服のデザインの一覧表の中に「Vネックのトップス」がありました。

当初は、洋服やファッションに興味がなかったので探し回る事もせず「Vネックのトップスなんて、あんまり売ってないよな~」と勝手に思い込んでいました。

 

ある日、フラメンコのレッスンが終わった後、生徒さんからレッスン時の動画が送られて来ました。

(フラメンコは1曲が長いので、振付を進めた分だけ、生徒さんに動画撮影してもらっています)

その動画に映っている自分の姿を見て「何だ!これは!」と思いました。

メンズの半袖Tシャツにフラメンコのスカートを着て踊っている自分の姿は、まるで近所のコンビニに行く格好で、踊りの動きも見えずにダサい格好にショックを受けました。

踊れているのに洋服で損をしていると思いました。

その時、初めて「カッコ良い練習着が欲しい!」と思いました。

そんな時、あるダンサーの方が着ている洋服のブランドを知り、気になったので調べてみました。

そのブランドのデザインを見た瞬間「これだ!!」と思いました。

自分が理想とするデザインの洋服が見つかったので、そのブランドをいろいろ調べ始めたところ、自分が欲しいと思っていたデザインの洋服がたくさんありました。

早速、何着か購入しました。

購入後、以前のようにコーディネートが分からなくなったり悩む事もなく、次から次へと興味が膨らんでいきました。

「あぁ、私はファッションや洋服が好きなんだ!」と徐々に気が付き始めた時、近所の100円均のお店でアクセサリーコーナーが増えました。

300円で素敵なピアスや指輪を購入出来るようになりました。

欲しかった鞄が手に入ったり、欲しかった洋服が低価格で手に入ったり、普段気にもしていなかった場所に大きな古着屋を見つける事ができたりと、本当に驚くほどの発見や恵みを受ける事ができました。

 

この前も、仕事に行く前にどうしてもチェーンネックレスが欲しいと思い、いつもより早く家を出てお店に立ち寄りました。

その日は、なぜかワクワク感が止まらず、いつも以上に興奮していました。

お目当てのチェーンネックレスを購入して職場に行き、購入したネックレスを着ける時も、なぜか楽しくて楽しくて嬉しくて嬉しくて、仕方がないほどでした。

因みに、購入したチェーンネックレスは高級な物ではなく、1000円ぐらいのネックレスです。

以前は、何か物を購入しても手に入るまではワクワクしたのに、手に入った瞬間「こんなもんか・・・」と思ったり、「しょぼいなぁ~・・・」と思って満足した事がありませんでした。

しかし、今回のこの楽しさと嬉しさとワクワク感は何なんだろうか?と思いました。

 

先日も、欲しかった黄色のシャツとカーキ色のカーゴパンツを購入しようと買い物に行きました。

カーゴパンツは、すぐに見つかりました。

黄色のシャツは想像以上に良い物が見つかり、更に値下がりしていて、サイズはラスト1枚だけが残っていました。

仕事で着られそうな黒色のパンツと以前から欲しかった銀色のチェーンベルトも見つかり、更に自分に絶対似合うであろうTシャツも見つかりました。

全部で6点の物を購入しましたが、1万円越えませんでした。

ついでに、以前から欲しいと思っていたナイロンベストを探していましたが、見つからずどこに売っているのかな?と考えていたら「あのお店には絶対にある!」と閃きなのか、霊感みたいなものが頭の中に浮かびました。

そのお店は、スーパーマーケットの横に併設されているお店で、近所のお婆さんやお爺さんが服を買いに来るお店でした。

早速、お店に行ってみると欲しかったナイロンベストがたくさん置いてあり、即購入しました。

次の日も、買い物ついでに大型ショッピングモールに出かけました。

何気なく入ったお店に、以前から欲しかったハンチング帽と中折れ帽子が売ってありました。

ネットで探していた帽子よりも安くて、デザインも機能も型も想像していた以上に素敵な帽子が見つかりました。

これは、本当に神様が私に用意してくださったと奇跡と恵みだと思い、本当に感謝しました。

 

ここ最近では、洋服のコーディネートする時、以前のように時間をかけてあれこれと悩まなくなり、頭の中でトータルコーディネートが閃き、そのコーディネートに必要なアイテムがすぐに見つかり、安く手に入ります。

そして、閃いたコーディネートを実際に着てみると、自分にピッタリで似合うので、本当に驚くばかりです。

しかも、その閃いたファッションコーデで出掛けると、必ず「今日、カッコ良いですね!」とか「どこで、洋服買ってるんですか?」とか「似合ってますね~!」と声をかけられます。

 

よくよく考えてみると、20年以上も続けてきた「ダンス」は、人から誉められた事は片手で数えられるぐらいでしたが、ファッションや洋服で人から誉められた事はたくさんあったなと、最近気が付きました。

お店で洋服を見ているだけでも、こんなに楽しくて嬉しくて面白いのかと思うぐらい、心と精神の豊かさは広がるばかりです。

神様が与えてくださった恵みと祝福には、「考える楽しさ」「見て想像する楽しさ」「探し求める楽しさ」「昨日の自分ではない新しい自分を見つけられる楽しさ」を与えてくださいました。

一人でも、多くの方々が神様に出会い心豊かな人生が送れることを願います。

 

 

 

 

『ラプトブログに出会ってから、自分が本当にやりたかった事を見つけることが出来ました』

私は小学生の頃から「ダンサー」になるのが夢でした。

小学生の頃に見た映画『フラッシュダンス』と「『コーラスライン』に憧れ、「将来はブロードウェイダンサーになりたい!」と思っていました。

小学5年生の時に「ダンスがしたい!」と母親に懇願しました。

母親は、私のためにダンス教室を探してくれました。

それから、週1~2回のダンスレッスンに通いました。

しかし、勉強もスポーツも全く出来なかった私は、中学入学前に母親から「中学校に入ったら勉強が難しくなるから、ダンスは辞めなさい」と言われ、素直に従いました。

 

ダンスを辞めていた中学生の頃に、私は『マイケル・ジャクソン』を見て大ファンになりました。

マイケル・ジャクソンのミュージックビデオを見ては「マイケルのようなダンスがしたい!」と思うようになりました。

しかし、勉強がまったく出来なかった私は、高校進学が出来るかどうかわからない危機があったので、ダンスを習う余裕などありませんでした。

何とか高校に進学できたものの、商業高校だったため、毎日課題に追われる日々を送っていました。

そんな時、テレビで放送されていた『天才たけしの元気が出るテレビ』の人気コーナー『高校生ダンス甲子園』で出て来た『L.Lブラザーズ』を見て「私もこんなカッコイイダンスがしたい!」と思いました。

 

高校卒業後はダンス教室に行けると思っていましたが、高校卒業間近で両親が離婚をしました。

ダンス以外は考えられないと思っていたので、定職には就かず職を転々としました。

20歳の時、市内にダンス専門学校があることを知り、母親に「ダンスの学校に行きたい!」と懇願しました。

当時、私は母親と弟2人と一緒に暮らしていました。

母親は離婚後、1人親に手厚い支援のある地域に住み、公務員の仕事をしていたので、少し経済的に余裕があったようでした。

 

やっと自分がやりたかったダンスが習えると思ってワクワクしていましたが、入学して驚いたのが、どの授業も自分がやりたかったジャンルのダンスではありませんでした。

私がやりたかったダンスは、マイケル・ジャクソンやMCハマーのような『ストリート系のダンス』でした。

しかし、専門学校で習うダンスは、バレエ、モダンダンス、コンテンポラリーダンス、ジャズダンスでした。

他のダンススタジオに通えるような経済的な余裕もなかったので、専門学校のカリキュラムを必死で熟していました。

専門学校を2年間通い、卒業後は念願のストリート系のダンススタジオに通い始めました。

当時は市内に2つしかダンススタジオがありませんでした。

私は、自分が本当にやりたかったダンスが出来ると思い、2つのダンススタジオに通ってレッスンを受けまくりました。

ブレイキングダンス、ロックダンス、ポップダンス、ソウルダンス、ワックダンス、ヒップホップダンスなど、興味があるダンスは手当たり次第レッスンを受けまくりました。

 

その頃、ストリートダンスの業界は『ダンスコンテスト』で優勝することがダンサー達の夢であり、目標でした。

どのダンスコンテストも、必ず2人以上のチームでの出場が必須条件でした。

私も「ダンスチームを組んでコンテストで優勝したい!」と思っていました。

いろんなジャンルのダンスの中から私は最終的に『ロックダンス』に絞りました。

ロックダンスでチームを組みたいと思っていましたが、なかなか同じジャンルで、同じ目標を目指す仲間に恵まれず、時間だけが虚しく過ぎていきました。

私がダンススタジオに通っていた頃は、ニュースクールダンス『ヒップホップダンス』が大流行していました。

スタジオに通い始めて2年過ぎた頃に、やっとダンスチームを組む事ができました。

チームメンバーは大学生の男の子と、私より4歳年上の女性と私でした。

早速、チームメイトとコンテスト出場計画を話し合い、コンテストに出場し続けました。

 

チーム内のルールとして、コンテストの出場作品は各回ごとに担当制にしました。

コンテストに出場する際、出場作品は1人の人が曲、振付、構成、演出、衣装をすべて決めるルールを設けました。

最初のコンテストは、4歳年上の女性メンバーが作品制作し、コンテストに出場しましたが入賞する事が出来ませんでした。

次に、私が作品制作担当する事になりました。

私は、以前から秘策がありました。

私は専門学校で培ったモダンダンスやコンテンポラリーダンスの空間芸術や舞台演出、ありふれた振付をいかに面白くカッコ良く見せられるかを学び制作してきました。

その集大成を作品に盛り込みました。

しかし、チームメイトからは疑心的で不評でした。

チームメイトから「有名チームや先輩達と同じような作品を作るべきだ。新しい振付や構成は有名チームがやれば認められるけど、私達のような無名チームがやっても誰も認めてもらえないよ!」と言われました。

私は内心、有名チームや先輩達のものまねや似たような作品を作っても、その人達を超える事は出来ない。

新しい事、今までにない物をやらないと超えられないと思っていました。

なんとかチームメイトを説得して作品を作りました。

選曲、構成、演出、振付を、今までにはないけれど、ちゃんとロックダンスのテイストを残した作品を作りました。

結果、『準優勝』でした。

一番嬉しかったのは、3人の審査員が私の作った作品を見て「新しくて面白かった!」「今までにないロックダンスを見れて良かった!」と賞賛してくれました。

因みに、その時に優勝したチームは、私が習っていたヒップホップの先生のチームでした。

コンテスト終了後、チームメイトと話し合いをしましたが、やはり理解は得られず数ヶ月後にチームは自然消滅していきました。

 

「ダンスだけでは、生きていけない・・」と限界を感じた私はダンスをやめて就職を決意し、介護職に就きました。

デイサービス、リハビリ補助、入院患者のお世話をしながら約6年が過ぎる頃、突然、母親から「フラメンコをやらないか?」と誘われました。

フラメンコダンスは、映画『ダンシングヒーロー』を見て興味を持ち、習いに行きたいと思っていた時期がありました。

母親は離婚後にフラメンコダンスを習い始めていました。

母親はフラメンコを習い始めてからは、日中は仕事に行き、帰宅後はすぐフラメンコ教室に直行。

帰ってきてからは、夜中1時~2時ぐらいまで練習をしていました。

そんな生活を5~6年間ほど続けていました。

その甲斐あってか、母親は私をフラメンコに誘う頃にはカルチャーセンターでフラメンコを教えるほどになっていました。

私は軽い気持ちでフラメンコを母親から習い始めました。

ダンスを何年もやってきた私は「フラメンコなんて、簡単に出来るかも」と、フラメンコを舐めていました。

しかし、いざフラメンコを習い始めた途端、フラメンコの難しさに驚き、戸惑いました。

フラメンコを習い始めてから半年後に母親から「フラメンコ留学しなさい!」と言われました。

2001年10月から、スペインのセビージャにフラメンコ留学を予定していましたが、2001年9月11日にアメリカで同時多発テロが起きました。

留学が出来るかどうか不安でしたが、今思えばテロが起きた事で逆に警備が厳しくなり、安全に飛行機に乗る事ができました。

約半年間のフラメンコ留学を終えて帰国。

その2年後、母親がフラメンコ教室兼レンタルスタジオを設立しました。

そして、2004年2月から2ヶ月間、再びフラメンコ留学をさせてもらいました。

留学中の2004年3月11日に、マドリードのアトーチャ駅でテロが起きました。

帰国後、母親が設立したフラメンコ教室でフラメンコを教える仕事に就きました。

当時、母親が設立したフラメンコ教室の周辺には、もうすでに5つほどのフラメンコ教室がありました。

設立当初、母親は私に「ここら辺は、もうすでにたくさんのフラメンコ教室があるから、ガツガツ集客せずに、のんびり楽しく教室を運営しよう!」と言ってくれました。

私は、母親の意見に大賛成でした。

しかし、フラメンコ教室は次々と生徒さんが入会し、一時期は120人ほどの生徒さんがフラメンコを習いに来てくれました。

レンタルスタジオも、常にキャンセル待ちが出るほどの状態が何年も続きました。

 

当時の私は常に3~5クラスを担当していました。

フラメンコは1曲が長い踊りで、短くても7分、長いと15分以上の踊りになります。

超初心者クラス~中級クラスを並行して指導にあたっていた私は、一日中フラメンコの事ばかり考えていました。

発表会が決まると、受け持っているクラスの振付、構成、演出、衣装、照明、強化レッスンの内容を考え、本番までを逆算して指導にあたりました。

自分が思っていた通りに進められることは少なく、ハプニングやトラブルもよく起こりました。

最初は大変でしたが、経験と慣れで発表会は楽しい行事になっていきました。

しかし、経営者である母親とのトラブルや問題が増えていきました。

母親が望む経験方針と、私が望む経営方針が合わなくなって行きました。

母親との確執が膨らみ、母親からの陰湿なイジメも増えていきました。

13年間働いてきて、3回減給されました。

私が自分の給与で購入したフラメンコシューズを、母親が無断で生徒さんに何足も売っていました。

母親と弟が使用するフラメンコ用具は、会社の経費で購入していましたが、私は

すべて自分の給与から払わされました。

発表会やライブに出演しても、出演料は1円も貰えませんでした。

私が教えている生徒さんに私の悪口を吹き込んだり、母親が気に入らない生徒さんや問題やトラブルを起こす生徒さんは私のクラスに行くように勧めたりしていました。

クラスのレベルが上がると、レッスン料金が少し高くなります。

お金が欲しいがために、母親はクラスのレベルに達していない人を無理やりレベルの高いクラスに入れ、私や弟が教える。

レベルが高いから、その生徒さんはレッスンについて行けず辞めてしまう。

辞めてしまった原因を、私や弟の教え方が悪いと言って責め立てる。

こんな無茶振りを母親からされては、母親と衝突しました。

母親の身勝手な経営方針やコロコロ変わるやり方に反発をしていた私は、2014年11月に母親から「クビ」を宣告されました。

「ダンス」と「踊り」に人生を注いできた私は、生まれて初めて「もう、二度と踊ることはないかも・・・」と思いました。

しかし、踊ること以外に何もやって来なかった私は「自分は何のために生まれてきたのか?」「このままの人生で良いのか?」「このまま、何もしないで死んで行くのか?」と思い悩み続けました。

 

そんな時、YouTubeでラプトさんに出会いました。

『RAPT × 読者対談7 神道ユダヤ教と悪魔教のつながり。悪魔教が日本に伝わった経緯。』

https://youtu.be/NhNckLBYLFk

 

『"RAPT×読者対談101 日本は昔も今も悪魔教の国。』

https://youtu.be/4zv1pehIk4Y

 

『ラプトブログ』

http://rapt-neo.com/?page_id=1815

 

ラプトブログに出会い、私は産まれて初めて信仰を持ちました。

幼い頃から「神様が存在している」ことを感じていたというよりは、「神様は存在して欲しい!」という思いがどこかにありました。

ラプトさんが聖書の事や世の中の事、神様の事やこれから起こる事をすべて事細かく理路整然とお話をしてくださっていました。

今まで生きてきて、謎に思っていた事や解らなかった事が、ラプトさんのお陰ですべて理解出来るようになっていきました。

ラプトさんが「神社仏閣」=「悪魔教」とおっしゃられていたのを聞いた時は、衝撃的でしたが「これが本当の答えだ!」と理解出来た時は感動しました。

 

ラプトブログに出会い、ラプトさんから神様の御言葉を学び始めた頃から、私が一番執着したのは「自分の個性と才能」でした。

大好きだった踊りをやめた私は、神様の御言葉を聞いて「もう一度、ダンスや踊りをするべきでしょうか?それとも、ダンスや踊り以外に他の道があるのでしょうか?」と祈り求めました。

 

信仰を持ち始めてから2年経った頃の事でした。

当時、小学生だった2人の娘はダンスを習っていました。

しかし、先生との相性が合わずにトラブルが続いたので、新しいダンス教室を探していました。

そして、ママ友が新しいダンス教室を見つけて私に教えてくれました。

早速、新しいダンス教室に体験レッスンに行ってみると、そのダンス教室のオーナーが母親が経営するレンタルスタジオの常連のお客さんでした。

更に、娘2人が入会した月が、たまたま入会金無料キャンペーンの月でした。

新しいダンス教室に通い出した娘2人は、すぐに上達していきました。

私も娘の影響を受けて約20年ぶりにストリートダンスを始めました。

ダンスを再開した当初は「やっぱり私は、ダンスをする事が運命なのかな」と思っていました。

 

ある時、河原でお祈りをしていました。

その日は、とても寒い日でした。

あまりにも寒かったので、お祈り中でしたが「踊って少し体を温めよう」と思いました。

踊り始めた時に自分でも驚いたのですが、私は今習っているストリートダンスではなく、なぜかフラメンコを踊っていました。

不思議でした。

フラメンコはもう何年も踊っていないのに。

自分でも驚きました。

踊り始めて更に驚いたのが、次から次へとフラメンコの振付が頭の中から湧き出てきて、踊り始めたら止まらなくなっていました。

「次はこれをやってみたい!」

「次はこれ!」

「次はこれとこれ!」

夢中になっていました。

お祈りが終わった後、私は「どうしてフラメンコを踊ったんだろう?」と思いました。

本当に不思議な体験でした。

 

2020年の9月、母親から「イベントでフラメンコを踊るから観に来て欲しい!」と連絡がありました。

以前から、母親からは何度もフラメンコを見に来て欲しいと言われていましが、断り続けていました。

しかし、何度も断るのも悪いかなと思い「今回は観に行こうかな・・」と、シブシブな気持ちで返事をしました。

 

イベントの日、フラメンコの踊りを見るまではいつもと変わらず「二度とフラメンコなんか踊らない!」と思っていました。

けれど、イベントが始まり母親と弟の踊りを見た途端、急に体が熱くなり「フラメンコを踊りたい!もう一度、フラメンコを教える仕事に就きたい!」と強くハッキリとした思いが込み上げてきました。

神様が、感動を与えてくださったと確信した瞬間でした。

 

2021年3月、約6年ぶりに仕事に復帰しました。

復帰して、まず驚いたことが生徒さんの人数でした。

私が辞める前は、約100人ほどの生徒さんが在籍していました。

しかし、コロナ禍の影響もあり生徒さんは30人ぐらいにまでに減っていました。

クラス数も激減し、レンタルスタジオの稼働率も10%~20%になっていました。

私は母親に「このままでは会社は倒産するから、経営方針を変えた方が良い!」と訴えましたが、一切聞く耳を持ちませんでした。

弟2人の事を思い、何度も会社の改革を母親に訴えましたが無理でした。

為す術もなく、ただ神様にどうすれば良いのか祈り求めました。

仕事復帰した事や自分が選んだ選択は正しかったのか、祈り求めました。

 

仕事に復帰し始めた頃、私が担当しているクラスの生徒さんは全員で10人弱でした。

その中に一人、60代の年配女性がいました。

彼女は最初、大人しくレッスンを受けていましたが、次第に自分勝手な事を言い始め、レッスン内容や他の生徒さんに対してクレームを言うようになりました。

私は、彼女の事を神様に祈り求めました。

すると、彼女は自分で勝手にレッスン中に問題を起こし、辞めて行きました。

 

他にも、いろんな生徒さんが私のレッスンを受けに来てくれましたが、気が付くと「フラメンコが上手くなりたい!上達したい!」と思っている熱心な生徒さん達だけが残っていきました。

復帰当初は、生徒さんとの距離感が掴めずに空回りすることもありましたが、今では信頼関係を築いていけるようになりました。

生徒さんの人数は少ないのですが、とてもレッスンが行いやすく、私自身も勉強させてくれるような生徒さんばかりになりました。

 

私が仕事復帰をして一番実感することは、神様に出会う前と出会ってからの仕事の進み具合や内容、充実感がまったく違う事です。

まず、踊りの振付です。

フラメンコは曲種によって形式や決まり事があり、他のダンスのように自由に振付を作成することはできません。

神様に出会う前は、振付を1フレーズ作るのに、いろんな動画を見たり、過去に習った踊りを思い起こしたり、他ジャンルのダンスを見て研究しては、やっとの思いで頭の中から捻り出す感じで振付を作成していました。

酷いときは、何日もかかる時もありました。

しかし、今は祈りの中で神様に「振付を教えてください!」「生徒さんに、何を教えてあげれば良いでしょうか?」と、神様に祈り求めたら、すぐに構想やアイデアが閃きます。

神様に祈り求めれば、10分もかからないうちに1曲の3分の1ほどの振付が、あっという間に制作出来る事もあり、曲によっては10分もかからない時もあります。

レッスン内容も神様に祈り求めると必ず答えを与えてくださいます。

「今度のレッスンは、どんな事を行えば良いでしょうか?」と祈り求めます。

すると、必ずアイデアや構想や閃きがあったり、過去に教わった記憶が蘇ったりもします。

本当に毎回、驚いてしまいます。

 

そして、つい最近になって自分が本当にやりたかった事をハッキリ見つけるこたができました。

それは、「振付師」になることでした。

振付師になって、まだこの世の中に存在しない新しい踊りやダンスを作る事が本当にやりたかったことだと気付きました。

今まで自分が本当にやりたかった事がわからずに、ただダンサーになりたい!と思っていました。

しかし、ダンサーになろうと努力すればするほど上手く行かないし、苦しくなったり辛くなるばかりでした。

人前で踊って賞賛してもらった事もありましたが、心が満たされたことはありませんでした。

 

神様にお祈りする中で、過去の自分の思いや考え、今まで見て聞いて感じたもの、自分がどんな事から影響を受けてきたかをお祈りの中で気付いた時、点と点が一本の線で繋がり、自分のやりたかった事がハッキリ解るようになりました。

40年以上生きてきた中で、私が一番求めていた答えを神様からいただいた時、『自分のやりたい事がわかる』ことがどれほどの原動力となり、どれほどの恵みと祝福かを実感しました。

そして、神様と一緒に作品を作ることが、どれほど楽しくておもしろくて、充実感を得られるのかも知りました。

 

『RAPT有料記事25(2015年11月30日 )わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽い。』

https://rapt-neo.com/?p=34123

 

『RAPT有料記事60 (2016年4月18日)個性と才能をさらに強烈に光り輝かせる方法。』

http://rapt-neo.com/?p=37575

 

『RAPT有料記事139(2017年1月21日)自分の中に眠っている個性と才能を開花させてこそ、真の救いが完成する。』

http://rapt-neo.com/?p=41852

 

『RAPT有料記事59 (2016年4月16日)この世の誰もが「個性」の王様だ。』

http://rapt-neo.com/?p=37560

 

『RAPT×読者対談〈第123弾〉個性豊かな才能あふれる人々を生み出す社会へ。』

http://rapt-neo.com/?p=41533

 

『ラプトブログ』に出会う前の私は、仕事に対して義務的で偽善的でした。

人を指導する立場を、ある意味勘違いしていました。

「教えてあげている」「やってあげている」みたいな、上から目線で傲慢で、プライドも高く本当に嫌な人間でした。

しかし、神様からラプトさんから御言葉を学ぶことによって、自分が与えられた仕事の意味もやり甲斐も、きちんと解るようになり、以前とは比べものにならないほどの充実した濃い内容になってきました。

生徒さんは、みるみる上達し意欲的になってきました。

今では、生徒さんが「やる気のある人」と「趣味程度か、それ以下のやる気の人」にハッキリ分かれています。

やる気のある方は少ないですが、私自身も生徒さんのやる気や意欲によって勉強になり励みになり、何より神様からいろんな答えをいただけるようになりました。

そして、今は神様からいただいた答えを私が教えている生徒さんだけに伝えるのはもったいないと思い、全国でフラメンコを習っている方で、なかなか上達出来ずに悩んでおられる方や伸び悩んでおられる方の助けになりたいと思って、新しくブログを開設しました。

【アキ   https://note.com/akiyuiainoa

 

フラメンコという、マイナーな踊りを通して私は神様からたくさんの事を教わり助けていただいてます。

 

ぜひ、皆様も『ラプトブログ』を読んで、新しい自分を発見したり、新しいことにチャレンジ出来ますことをお祈りいたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

『ラプトブログに出会い、不安や心配、恐怖心から解放されました。』

私はラプトブログに出会うまで、常日頃から不安や心配、恐怖心を抱きながら生活することが当たり前でした。

 

外出する時は、何度も家中の電気やガスの元栓を確認したり、忘れ物がないか鞄の中身を何度もチェックしていました。

出かける前は「事故に合ったらどうしよう」とか、町中で歩いている時は「後ろから誰かに襲われたらどうしよう」とか、ビルの前を歩く時は「上から何か落ちてきたらどうしよう」とか、家の中に居る時も「地震が来たらどうしよう」とか、常に不安や心配、恐怖心に襲われて生活していました。

 

体調の変化にも過敏で、体のどこかが痛くなったり違和感があると、すぐに病院に行っていました。

 

これほど不安や心配、恐怖心に襲われるようになったきっかけは、阪神淡路大震災でした。

 

私は京都在住です。

阪神淡路大震災の時、私は自分の部屋で寝ていました。

大きな爆発音のような爆音が鳴り響いた直後、下から突き上げるような振動が体全体を押し上げ、私は一瞬空中に浮き上がりました。

その後、激しい縦揺れが起こりました。

一瞬、何が起こったのかまったく理解出来ずに放心状態で体が固まってしまいました。

 

ニュースでは、高速道路が横倒しになり、あちこちで火災が発生して町中が煙りだらけの映像を見て、心の底から絶望しました。

その日から、被災者の方々の悲惨な状況や体験談、被災地の苛酷な生活をニュースで見て胸が痛みました。

自然災害の怖さを経験した私は、次第に不安や心配、恐怖心に襲われるようになっていきました。

 

阪神淡路大震災後も、日本各地で大地震が発生したり、北朝鮮からのミサイルや世界中で行われている戦争や紛争の報道を見るたびに恐怖で怯えるようになっていきました。

 

しかし、2016年にYouTubeでラプトさんに出会い、ラプトさんが日本で起こっている大地震悪魔崇拝者達が起こした土地強奪が目的だと暴いてくださいました。

 

【RAPT×読者対談80 阪神大震災原発再稼動と西南戦争を結ぶ中央構造線の謎。】

https://youtu.be/z5CFrNhZhPk

 

【RAPT×読者対談46 人工地震3.11の目的は、天皇家による福島遷都に向けての土地の強奪。】

https://youtu.be/FZiLwZvDnx8

 

【RAPT×読者対談48 〜 3.11人工地震と福島遷都の謎。】

https://youtu.be/Usfo5QpNNcE

 

【RAPT×読者対談90 RAPT理論から見た熊本地震。】

https://youtu.be/hF3ygNMdHYY

 

【RAPT×読者対談92 熊本地震天皇家の起こした人工地震である。 その証拠(1)】 

https://youtu.be/Op4Uq9XxLYc

 

【RAPT×読者対談93 熊本地震天皇家の起こした人工地震である。その証拠(2)】

https://youtu.be/gGsJdNGBAxE

 

【RAPT×読者対談94 大震災は天皇家一族(イルミナティ)のボロ儲けの種。】

https://youtu.be/QiOlTt1JlEI

 

【RAPT×読者対談111 人工地震3.11を起こした真犯人は出雲族である。】

https://youtu.be/VLSDmakCR1s

 

TALK RADIO Vol.10 北海道地震と大阪地震は100%人工地震である。 (真犯人は麻生太郎安倍晋三・東出融)】

https://youtu.be/LNejNCy6p64

 

歴史に残るような大災害や大事件、大事故のほとんどが悪魔崇拝者によるものだとラプトさんがラプトブログで暴いてくださいました。

『ラプトブログ』

http://rapt-neo.com/?page_id=1815

『ラプト理論+α』

https://rapt-plusalpha.com/

 

私はラプトブログを読み始めた頃、なぜ悪魔を崇拝する奴らがいるのか?

なぜ、悪魔を信じる人間がこの世の中に存在するのか、不思議でした。

しかし、ラプトブログを読み進めて行けば行くほど理由が解っていきました。

 

「悪魔」を崇拝する奴らがいるということは、「悪」が存在し「悪」を好むものが存在する。

「悪」を行い人々を不幸に陥れ、自分達だけが私腹を肥やしている人間がいる。

その悪行の知恵は、いったいどこから来るのか?

人間がゼロから考え出せるものなのか?

最初は、理解するのに時間がかかりました。

しかし、ラプトさんは「悪」がどこから来て、どのように流れているのか。

その証拠や歴史、金の流れや悪人同士の人脈の繋がりをすべて暴いてくださいました。

 

「悪魔」は実際に存在し、その悪魔を信じて悪を行う奴らが存在するということは、逆に善が存在し「神様」も存在する。

なぜ、善と悪が存在し、自分の心にも善と悪が生まれるのだろうか。

それは、善を持つ「神様」と悪を行う「悪魔」が存在するからだと悟りました。

 

ラプトブログを読み、自分が今まで信じてきたもの、教わってきたこと、見て聞いてきたもののほとんどが嘘だらけで、人間を「洗脳」することで悪魔崇拝者達がこの世の中を支配してきた。

悪魔崇拝者達が、人間を支配する方法の一つが「恐怖を植えつける」ということをラプトさんは教えてくださいました。

 

【RAPT有料記事145(2017年2月11日)この終わりの時こそ、最も豊かに聖霊を受け、最も豊かに祝福を受けられる期間だ。】

https://rapt-neo.com/?p=42262

 

【RAPT有料記事150(2017年2月27日)あなたたちが聖書の預言を実現する人たちだ。善と悪をしっかりと裂きなさい。】

https://rapt-neo.com/?p=42432

 

【RAPT有料記事158(2017年3月27日)心の中から全ての悪の根を断ち切ってこそ、人生が祝福に包まれる。】

https://rapt-neo.com/?p=42876

 

【RAPT有料記事625(2022年1月31日)自分のために生きる人は人生が重荷となり、不安と心配と悩みが尽きないが、神様のために生きる人は常に喜びと希望に満たされ、自分の願いも全て叶えられる。】
https://rapt-neo.com/?p=56240

 

阪神淡路大震災時、前向きな考えやいろんな事を行う行動力を失いました。

「恐怖」は人間の考えを支配してしまう。

戦争、テロ、貧困、災害、病気、犯罪を意図的に起こし、全人類を支配する悪魔崇拝者達の悪事を知った時、私は心の底から「不安や心配、恐怖心」解放されました。

 

そして、神様を信じる人は神様が守ってくださると知った時、これほどの恵みがあるのだろうかと感動しました。

更に、神様は「不安や心配、恐怖や恐れは罪だ」とおっしゃってくださいました。

私は、この御言葉を聞いた時、本当に幸せな気分を味わうことができました。

 

信仰生活を始めて約6年が経ちますが、年を追うごとに不安や心配、恐怖や恐れが無くなっていきます。

体調も良くなり、病院にもあまり行かなくなりました。

病気やケガ、子供の将来やこれからの事も神様に祈り求めれば、不安心配が消えるだけでなく、やる気に満ちあふれ、大きな夢と希望を持って生きられるようになりました。

毎日、細々した不安や心配があっても、神様に祈り求めれば数分で消えていきます。

あれだけ不安や心配、恐怖心だらけだった過去の自分が嘘のようです。

 

「神様」という素晴らしい存在を知り、理解して信じることが、これほど自分の心と精神を変えてくださることに、本当に驚いています。

 

一人でも多くの方が「神様」に出会い、信じて生きられますように心からお祈りします。

 

 

 

『ラプトブログに出会い、人生が良くなっていきました。』

私は、40代の二児の母です。
主人は公務員です。

 

2010年の9月末に、私は二人目の子供を出産しました。
そして、翌年の2011年3月11日、東日本大震災が起きました。
震災が起きた日から、毎日テレビや新聞で津波福島第一原発の様子を見て、不安と恐怖に襲われながら生活していました。

 

東日本大震災が起こるまでの私は、典型的なB層でした。
二人の娘を持つ親としても「毒親」だったと思います。
テレビやマスコミの情報を、すべて鵜呑みにしていました。
お金持ちになれば幸せになれる。
恋愛すれば幸せになれる。
結婚すれば幸せになれる。
有名人になれば超幸せな人生が送れると、ずっと思っていました。

しかし、現実はとても厳しく、挫折と絶望を繰り返し、いつの間にか夢も希望もなくなっていきました。
頑張ることや努力することが面倒くさくなり、目の前の利得や利益、快楽や享楽ばかり追い求める様になっていきました。
目先の楽しみのためにお金を稼ぎ、無駄遣いをしては虚無感に襲われる。
その繰り返しでした。
いつも不安と心配を抱えながら「私はこのままで良いのか?」と、怯える日々でした。

 

「見えない恐怖」が自分の中で大きく膨らんでいくのを、いつも感じていました。
・自分自身の存在価値がわからない。
・産まれてきた意味がわからない。
・生きていくことの意味がわからない。
・自分は必要とされているのか?
・やりたい事すらわからない。
これらの事が、いつも頭の中でグルグル回っていました。

結局、恋愛しても、結婚しても、努力しても、資格を取っても「見えない恐怖」は消えませんでした。

そんな人生を送っていた私でしたが、東日本大震災をきっかけに政治や社会、環境に興味を持つようになりました。

そして、テレビ番組「たかじんのそこまで言って委員会」で、竹田恒泰を見て「面白い人だな」と興味を持ち始めました。
それから、竹田恒泰古事記の本やDVDを購入し、一時期は神道にハマりました。

そして、竹田恒泰の動画をYouTubeで検索していくにつれ、宇野正美を知りました。
それから、宇野正美、リチャード コシミズ、ベンジャミン・フルフォード、飛鳥昭男、林ひろし、斎藤一人内海聡宮脇淳子船瀬俊介、カズヤチャンネル、桜チャンネルなどの動画を見まくっていました。

しかし、私が求めていた真実は、なかなか見つけられませんでした。
誰一人として、納得出来る話は聞けず、一部分は納得出来ても、話が途中でうやむやになったり、肝心な所がわかりませんでした。

100%理解して納得できる話や明確な真実を話す人は結局、誰一人いませんでした。
気が付くと「陰謀論」に興味を持ち、真実を探し続けて約3年の月日が経っていました。


そして、2016年にラプトさんのYouTubeに出会いました。

いつものようにYouTube陰謀論を検索していたら

【RAPT×読者対談7 神道ユダヤ教と悪魔教のつながり。悪魔教が日本に伝わった経緯】

[

私は、本当に驚きました。

神道が悪魔?」

「神社が悪魔??」

「えっ??ど、ど、どうゆうこと???!」

ラプトさんのYouTubeを一通り聞き終えた時点で、なぜか私は「これだ!!これが真実かもしれない!!!」と思いました。

 

約3年程、陰謀論の迷子になっていた私にとって、ラプトさんのお話は今まで一度も聞いたことがなかったお話だったので、本当に驚きました。

お話の内容も衝撃的でしたが、私が一番驚いたのはラプトさんの人柄でした。
それまで私が聞いてきた陰謀論者の人達は、どこか上から目線だったり、威圧的な感じの人ばかりでした。
しかし、ラプトさんはそんな雰囲気を一切感じない方だったので、本当に驚きました。
正直、「こんなに柔和で、優しそうな陰謀論者がいるんだ・・」と思いました。

 

ラプトさんの読者対談に出会って、私がまずやった事は、神社仏閣から購入した御札や御守りを捨てる事でした。

最初はすごく怖くて手が震えました。
震えながら御札を白い布に包んで、神社に返しに行きました。
すると、御札を返した後、なぜか心も体もスッキリしました。
家の中もどこかしら、明るく感じ体も軽くなりました。
続けて、自分のカバンの中に入れていた神社の御守りと主人と子供に持たせていた御守りも、ゴミ箱にポイ!ポイ!と捨てました。

捨てた瞬間、さらに心も体もスッキリになりました。
家の中は、ハッキリと明るく感じ体も軽くなり気分も良くなりました。

 

ラプトさんのブログに出会って、一番最初の奇跡と恵みだったのは、やはり「神様の愛」を理解して悟れた時でした。

あの日の事は、本当によく覚えています。

その日、私はいつものように、ラプトさんが伝えてくださる神様の御言葉を聞いていた、その時です。
御言葉の中で神様が「神様はいつも私達を愛してくださっています」とおっしゃってくださいました。
その御言葉を聞いた瞬間でした。
突然、感動と、感謝と、嬉しさと、喜びと、楽しさと、希望と、力強さと、情熱と、清さと、愛しさ、これらすべての感情と感覚が頭の上から「ドバァーっっっ!!!」と浴びるような感じを受けました。
そして、同じ感覚が心の底からも「ドォーっっ!!!」と沸き上がるような、なんとも言えない感情と感覚が溢れ出してきました。
一気に目の前が明るくなり、感謝感激感動のシャワーを「バアァァァーーーーー!!!!!」っと、大量に浴びているような感じを受けました。

今まで生きた中で、一度も味わった事のない、何とも言えない心地よさと爽快感と温もりのような感激感動のシャワーを浴びて、私は嬉しさと喜びと感動のあまり、じっとしていられなくなりました。

本当に嬉しくて嬉しくて、楽しくて楽しくて、興奮しすぎて、体が勝手に動き出し、踊り狂いそうになりました。

「このままの状態が永遠に続いて欲しい!!!」と思いました。

 

ふと我に返り時計を見たら、次女の幼稚園のお迎えの時間でした。

私は「神様!ありがとうございます!!!」「嬉しいです!!!」

「本当にありがとうございます!!!」と、大きな声で叫びたいのを我慢しながら、電動自転車を猛スピードで走らせて幼稚園に向かいました。

毎日、見ている近所の景色も、いつもより明るく眩しく新鮮に感じました。

しかし、幼稚園に着き、幼稚園の先生や次女の顔を見た途端にさっきまでの素晴らしい感謝感激感動が一気に消えていきました。


この「神様の愛」は、本当に神秘的で不思議で素晴らしい感動体験でした。

本当に、生まれて初めての体験でした。

 

ラプトさんに出会い、ラプトブログに出会い、神様に出会い、真実の愛を知ってからは、見えない恐怖から解放されました。

https://rapt-neo.com/

http://rapt-neo.com/?page_id=1815

 

ラプト理論+α

https://rapt-plusalpha.com/


不安や心配がなくなり、心の平安が続くようになりました。
何か嫌なことがあったり、悩みや心配があっても、お祈りをすれば神様が解決策を教えてくださったり、アドバイスをくださいます。
行動力も身に付いてきました。
精神的に強くなってきました。
他人の目があまり気にならなくなりました。
チャレンジしたい事が増えました。
夢と希望を持てるようになりました。
そして、本当によく笑うようになりました。

本当にラプトさんに出会えて良かったです。

本当に神様に出会えて良かったです。

全世界の人達がラプトブログに出会い、神様

の御言葉に出会い、救われますように心からお祈りします。